◎Tango 私のブエノスアイレス〜タンゴ紀行〜

■私のブエノスアイレス*3■

2018/12/13

 

 

「私、シルビア、好き」

 これが、1日目のレッスン終了後、お友だちにつぶやいた言葉だった。

 放心したかんじで、言ったような気がする。スタジオを出て、歩いているときのことだ。

(*写真はスタジオを出てすぐの歩道を歩くお友だちの後ろ姿。先頭に先生たちが。この光景好き、と思って撮った記憶がある)

 Silvia Toscano シルビア・トスカーノ。彼女の話は私の先生から何度も聞いていた。

 なかやまたけし先生はメンタルをマリア・ニエベスから、フィジカルをシルビア・トスカーノから学んだと、ご自身のプロフィールにも書いている。なんて幸運な方なのだろう、といま、しみじみ思う。そして両者からタンゴを学んだ先生からタンゴを学んでいる私も、なんて幸運なのだろうと。

 マリア・ニエベスは映画「ラスト・タンゴ」によって、私をタンゴの世界に導いた人。そのコラソン、魂を受け継いでいるシルビアから私、レッスンを受けたのだから。

(*映画「ラスト・タンゴ」の一場面)

 

***

 でも、ブエノスに行く前には、まさか、自分がこんなふうになるとは思っていなかった。

 シルビアのレッスンを受けられるなんて、それはすごいことなんだよ、という意味をこめて先生から言われても私は乗り気ではなかった。私は先生からのレッスンで多くのことを得ていると思っているし、(もともとレッスンばりばり、って苦手だし←小声)、アルゼンチンのダンサーのレッスンが必要っていうなら日本でも受けられるし、私はブエノスでしか体験できないことにしか興味がないんだもん。

 だから「5日間のレッスン、どうしますか?」と最初に問われたとき、「私、たぶん、からだがもたないし、2回くらいでいいかな」なんて言っていた。けれど、直前になって「みんな5日間申し込みしますよ、どうします?」と言われて、「そうか、団体旅行に参加するという時点で私は協調というものをしなければならなかったのだわ」と、「だめだったら休めばいいだけの話だわ」と、「はーい、私も5日間でお願いしまーす」と、軽く答えたのだった。

  こんな、あまりにもいいかげんな状態だったものだから。

 それは、期待をしていないところに、どかんとぶちこまれた、ものすごい体験だった。

 

 シルビアは、最初から、私を異空間にほおりこんだ。

 明るい陽ざしが差しこむ、さわやかなスタジオで。はちきれそうな笑顔をうかべて、私をそんなふうにしてしまった。

 レッスンは受けている。ステップも指導されて、それをパートナーと練習し、それについてシルビアから指導を受ける。そして私は最初から感じていた。シルビアは私に感じていない、と。それは確かだった。「このひと、何かがある」と思ったときの人の行動は眼差しや口調にあらわれる。そのくらいはわかる。そして私は私自身に興味のない人にはあまり興味をもたないという性質がある。いばることではないのはわかっているけれど、そうなのだからしかたがない。

 なのに。なのに。

 そんなことはどうでもよかった。

 シルビアは私を、その存在で、圧倒した。

 

 最初から私は、シルビアを、シルビアそのひとを、息をとめて見つめていた。釘付けになっていた、と言ってもいい。

 まず、美しい。美しいなんて言葉では足りない。でも、美しい、としか言いようがない。人間が、こんなに美しくからだを動かせるということが、私には衝撃だった。いままでに、たとえば、一流のバレエダンサーの公演なども観てきていて、その美しい動きには感動を何度も味わっている。

 でも、同じ空間、1メートルの距離で目にするシルビアのタンゴは、もう、いま目を閉じても、ありありとあのときの想いがあふれでるほどに、すさまじかった。彼女のからだじゅうが旋律、メロディだった。シルビアそのものがタンゴだった。

 からだの動きの美しさだけではない。彼女の全身から、タンゴが好き、があふれ出ていた。私にはそう感じられた。その、タンゴが好き、って思いはすごく根源的なもののようで、無邪気でさえあり、だから、彼女には可愛さもあった。

 レッスンなのに、次はこういう動きね、って見本を見せている、そういうときなのに、シルビアから、タンゴが好き、の粒子があふれて、きらめいて、スタジオじゅうを満たしていた。

 女性が男性の脚にふれて、反対側に渡る、いわゆるサンドイッチの動きをするときのあの表情。

「このときにね、男性がこんなふうにリードしてくれたら、ほら、こんなにロマンティックでしょ」と言いながら、ほんとうに、ほんとうに、ああ、ロマンティック、って表情をする。

 あんな表情みせられたら、たまらないよ。

「マエストロが一緒よ、楽しみにしていて」と事前に連絡があったマエストロ、Luciano Caceresルシアーノ・カセレスと踊るシルビア。楽しそうなふたり。ルシアーノの、甘美なリード。

 

 念のため、もう一回書くけれど、私、ちゃんとレッスンしていたのよ。4日間、からだを動かして、いわゆるレッスンをしていた。苦手なヒーロ(ぐるぐるまわるの)だって、がんばったわ。

 でも実のところ、私はシルビアからはなたれる、タンゴの香水の粒子を全身に浴びることに集中していた。

 そう、見かけはレッスンしていたかもしれないけれど、ほんとうのところは目を閉じて、ただただ彼女を感じていた、そんなかんじだった。

 私は、はじめて、こんなタンゴが踊れたら……という人に出逢った。

 4日間連続でシルビアという電流を流されて私は、もうむり、と意味不明の言葉を何度も胸のうちでつぶやいていた。レッスン中、ときどき、ふいうちのようにこみあげてくる涙をこらえるのに必死だった。

 どんな人のデモンストレーションを見ても、なかったものが、そこにあった。マリア・ニエベスの存在は別格として。

 もっていったノート、書いたのはたったの3ページと言ったけれど、そのなかにシルビアのことが書いてある。それをそのまま書き写してみる。

「19日。シルビアのレッスン3日目。私はタンゴのことが何もわかっていなかった。シルビアの美しい動き、表情、レッスンでありながら、私がこんな表情をして踊りたいというタンゴのコラソン、魂をもちつつ、完璧なステップは可能なのだ。私、もっともっとふかくタンゴを知りたい。自分のこの未熟さ、涙が出るほどに悔しい。いままで、たしかに、こんなかんじでいいかな、徐々にね、と思っていた。その程度だった。それをまず認めよう。傲慢だったということ? 情熱がなかったということ? それもある。それ以上に、無知だった。無知の知、ではない、単なる無知。でも、こんな人がいるのだと知ってしまったいま、私はどうしたらいいのだろう、混乱の極み」

 3週間が経ったいまは、踊るときにいつも、ちっちゃなシルビアが私の肩にちょこんとのっているかんじ。シルビアが離れない。

 ああいう人になりたい、という目標をもつような、そういう要素が私にはないようで、だから、シルビアのようになりたい、というのとは違う。なれるはずないじゃないのよ、わかってるうえで言っている。プロのダンサーを目指しているわけではないしね。

   ただ、いつもシルビアがいる。

 憧れ、というのだろうか、こういうのを。

 私はこれまでの人生で、女性に対してこういう想いを抱いたことがなかった。もちろん好きな作家や女優はいる。いちばんはアナイス・ニンで、でも私にとって彼女は、もっと違う感覚を抱くひとだ。「アナイスは私、私はアナイス」と思いこむような、そんな存在だ。シルビアは違う。

 シルビアへの想い、彼女のような存在は、記憶のかぎり、私の人生になかった。

 

 これはのちにもふれるつもりだけれど、5日目、最後のレッスンに私は参加しなかった。「今日はお休みしますと先生に伝えて」とお友だちに言った。「残念だけど、いいの。得るものは得たという確信があるから」。

(*最後の日に撮った記念撮影に、自分がいないことを私は気に入っている。映りたくないからとかではない。最後のレッスンに行けなかったという事実が、あのときの私を雄弁に語っているようで。そういう意味で、この集合写真、とても好きで大切な一枚)

***

 シルビア・トスカーノ。

 おそろしいほどの真剣さ、エロティシズム、ロマンティシズム、そして可愛さ。それを支える身体能力、美しいステップ。なによりタンゴへの愛を表現できるひと。

 

 いままでに旅をした国々、街。たとえばミラノ。ミケランジェロのロンダニーニのピエタに出逢えただけでもミラノへ行った意味はあった。旅って、そういうものがひとつあれば、じゅうぶんだと思っている。

 人生も同じだと思う。このひとに出逢えただけで生まれてきた意味はあった、そういう瞬間がひとつでもあれば、もうそれだけでいいと思うし、長く生きることで、そういう瞬間が、何度か味わえたなら、もう、いうことはない、と私は思っている。

 そういう意味でいえば、シルビアに出逢えただけで、ブエノスアイレスに行った意味は、たしかにあった。

 ところがたいへん。

 私、毎日、昼間はシルビアという電流を流されつつ、毎晩、もうだめなくらい強烈な電流を流され続けられることになる。

 夜のことは、行く前から想像していたことだ。大好きなバンドの生演奏で踊れるなんて、素敵だろうなあ、わくわく、って。

 あまかった。

 (<4>につづく)

(2018.10.18)

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