●美術エッセイ『彼女だけの名画』7:パリ、モネの「睡蓮の間」
2024/01/12
私の一日は珈琲で始まる。珈琲がないと目覚めた気にならない。
パリの珈琲はしかし、強烈すぎた。「カフェ」をオーダーすると、日本の「エスプレッソ」が出てくる。美味しいけれど、毎日だときつい。
パリ三日目の朝、紅茶がむしょうに飲みたくなって「アンジェリーナ」に出かけた。
リボリ通りをはさんでチュイルリー公園の向かいに有名なサロン・ド・テ「アンジェリーナ」はある。
「サロン・ド・テ」は「カフェ」と違って、ちょっときどった雰囲気。
大きめのテーブルにかけられた真っ白なクロス、貴族風の制服を着た店員。カジュアルな服装で入るのがためらわれる、そんな空気に満ちている。
緊張しているのを悟られないように努力しつつダージリンをオーダーした。
薬臭いから嫌い、と顔をしかめる恋人の顔が浮かんでひとり笑いしそうになる。
繊細な花模様のカップに注がれたダージリンをストレートで味わう。久しぶりの紅茶は私にとても優しかった。美味しい。
刺激的な濃い珈琲が大好きであっても、ときどき、このように、優しい紅茶が欲しくなる。
象徴的だ、と思った。
すべて、そうなのだ。こうして人は「日常」のなかに「非日常」のエッセンスを混ぜながら、「日常」に色をつけてゆく。
いまにも雨の滴がおちてきそうな重い空。
三月下旬とはいってもまだまだ寒いパリ。
人影のない、まるで時が止まってしまったかのようなチュイルリー公園を歩いた。
ベンチで頬を寄せ合う恋人たちを見かけ、買ったばかりの一眼レフのシャッターを押す。
公園のなかに静かにたたずむ、オランジュリー美術館。
モネの「睡蓮」を飾るために創られた部屋、「睡蓮の間」。
楕円形の大きな部屋の壁一面に、睡蓮。
縦二メートル、全長九十メートルにも及ぶその絵画は、ただそれだけで私を圧倒させる何かがあった。
晩年のモネが衰えつつある視力と闘いながら描いた、死とともに完成されたという事実が、池に反射する陽の光さえも、どこか物悲しく、せつなくする。
中央に置かれたソファに腰を下ろす。
画家の、絵にかける執念を全身に感じる。
八十六歳で亡くなった画家クロード・モネ。
白内障との闘い。迫り来る死を感じながら、いったいどんな想いで筆を走らせたのだろう。
最初はそんなことを考えていたけれど、睡蓮の池の静けさに包まれて、そういったことはぜんぶ消えた。
濃紺のなかに浮かぶ薄桃色の花。薄緑のなかの黄、濃い緑……。
朝、昼、夕、と穏やかに変化する水面の風景、ただそれだけ。
なんだろう、このきもちよさは。
空間に漂っているみたい。
ああ、これは、プールで両手両足をリラックスさせて、ぷかぷか浮いているような、あの感覚。
ほかの美術館にも小品の「睡蓮」はある。けれど、モネの「睡蓮」はここでなくてはだめ。
私は人物画が好きで、なかでもエキセントリックな画家、作品に惹かれる。
けれど、この「睡蓮の間」は、いい。
珈琲ばかりの毎日のなか、ときどき飲む紅茶の優しさに、それは似ている。
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「彼女だけの名画」第7回。パリ、モネの「睡蓮の間」
絵画:クロード・モネ作「睡蓮」
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。
*「睡蓮」は小説「女神ミューズ」のなかでも、あるものの象徴としてとりあげました。