●美術エッセイ『彼女だけの名画』10:ロンドン、ピカソのブルー
2025/11/10
夜明けの色。
恋に悩んで眠れぬ夜、明け方、疲れた目にどんよりと映った空。暗いブルー。
彼と朝まで飲んで歌って、浮かれて歩いた街、見上げた空。透き通るようなブルー。
私は、夜明けの空の色が大好きで、ただそれを見るためだけに、眠らないでいることもある。
今日の夜明けも、素敵だった。
私の仕事部屋の窓枠は青色。自分でペンキを塗った。それが見えなくなるのが嫌で、カーテンをつけないでいる。
その窓に、ふと光を感じて、ワープロの手を休めた。外を見ると、深いブルーの空が、木々や建物に覆い被さるようにして、あった。
この音楽を聴くといつも彼を思い出す、とか、雨が降るとあの日を思い出す、ということがあるように、明けてゆく空を見ると私は一枚の絵を思い出す。そして、去年の夏、ロンドンのホテルの窓から見たあの色も。
テイト・ギャラリーを訪れたのは、ラファエル前派やターナーの絵が観たかったからだ。
「シュミーズの女」は好きだったけれど、なぜか、パリのピカソ美術館にあるのよね、と勘違いをしていて、だからテイト・ギャラリーで出逢えたときには、思いがけず、とても得をした気になった。
そして実物を目にした私は、たちまちキャンバスに引きこまれてしまった。
画面に漂うブルー。実物ならではの色彩の、しずかな迫力。
深遠、透明、希望……。
そんな言葉が頭に浮かんでは消える。
ピカソの「青の時代」の色彩についてはさまざまな表現がされている。
世紀末、憂愁、悲しみ、貧困……。
そのほとんどが、暗いイメージだ。けれど、私はこの絵のブルーからそれを感じなかった。むしろ逆だった。
なぜだろう。
横顔の女性の眼差しは遠く、きつく結ばれた口もともシュミーズの青白さも、その雰囲気はたしかに暗いのだけれど。
制作年代を見た。
1905年。はっとした。この前年にピカソは、フェルナンド・オリビエに出逢っている。ピカソの最初の恋人、最初のミューズ、といわれる女性だ。
彼女と逢ったことで、ピカソの作風は「青の時代」から「薔薇色の時代」へと移行してゆく。
1905年といえば、まさに、その過渡期にあたる。
そうか、私がこの絵を暗いと思わなかったのは、そのせいかもしれない。
そのときはただ漠然とそう思った。
けれど、それは違っていたのだ。
次の日、起きるには早すぎる時間に、目が覚めてしまった。
喉の渇きを感じて、ミネラルウォーターのボトルを取ろうと、ナイト・テーブルに手を伸ばした。
そのとき、濃く、鮮やかな色彩が飛びこんできた。
開いたままのカーテン。窓に夜明けのブルー。
瞬間、そうだ、と閃いた。
ピカソのあの絵、あのブルーはまさに、この色だった。
あれは「夜明けのブルー」だったのだ。
恋人との出逢い、技法上の変化。諸々の要素はあるだろう。けれど、私が暗さを感じなかった理由は、そこにはない。この、夜明けの色にあったのだ。
どんなに暗く、どんなに絶望的な夜にも、必ず、夜明けはくる。必ず朝はくる。それを告げる、夜明けのブルー。
窓を開け、思いきり息を吸いこんだ。
心にからだに、新鮮なブルーが満ちてゆく。
決めた。
今日、もう一度観に行こう。
朝一番の、しんとした美術館で、しずかにあの絵を観よう。
すっかり目が覚めてしまった。しだいに薄くなってゆく空を、私は長い間、見つめていた。
***
「彼女だけの名画」第10回。ピカソのブルー
絵画:ピカソ作「シュミーズの女」
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。
*「ワープロ」というのが時代を感じます。青い窓枠は世田谷の馬事公苑近くの家。テイト・ギャラリーは現在のテイト・ブリテン。
ラストが小説「女神ミューズ」と重なることに、いま気づきました。
そして、夜明けのブルーは、まさに「ブルー・モーメント」。いまの私の仕事部屋、サロンを開催する場の名前。そうか、このころから好きだったんだ、としみじみ。
