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◆小説「タンゴ、カタルシス」6:ちょっとした刺し傷

2020/09/08

 

6:ちょっとした刺し傷

 

◆六月×日

 先週越してきたらしい上の階の住人の生活音が煩くて苛つく。

 ラグを敷かないで、おそらく靴のまま歩いている。「あの男」が通ったこの部屋から引越したいのにそれができないでいる自分が情けない。事件後すぐにでも出たかったが、慰謝料のせいで貯金がなくなってしまった。経済的貧困は私を卑屈にし消極的にし、自己否定に走らせた。

 しかしもう二年以上が経つのだ。いい加減、ここではないどこかへ移ろう。上の住人の騒々しさは、移る時期が来たことを私に告げている、ということにしよう。

 次に住む部屋は、都心から離れてもいいし狭くてもいいから、窓から緑が見える部屋がいい。軽井沢のあの緑が恋しい。

 アナイス・ニンが愛したルヴシエンヌを想う。パリから列車で一時間かからない郊外の小さな村。ルヴシエンヌの家をアナイスは愛した。ヘンリー・ミラーとの邂逅もこの家だ。訪れたのはもう十年以上も前のこと。当時の恋人のパリ出張と合わせて予定を組んだ。
 アナイスがかつて住んでいた家の門の前で恋人が撮ってくれた写真は、ドレッサーの横にピンで留められている。白いワンピースの上に笑顔。写真の端はくるんとまるまっている。

 現在のルヴシエンヌはパリへ通勤するひとたちのベッドタウンのようにもなっているらしい。東京から一時間、新幹線通勤するひとたちも増えてきた軽井沢と重なる。

 アナイス、芸術家としての矜持をどんな過酷な状況下でも失わなかったひと、女であることのすべてを使って生きたひと、彼女を愛した男たちへ惜しむことなく愛を注ぎ、彼らの創作を助けたひと。

 ああ、私は彼女の魅力を読者に伝えたい。彼女について書き始めて、何度も読んだアナイスの日記を、今度は、書くということを意識して読んでいる。

 あらためて、彼女のみずみずしい感受性に溺れそうになる。

 思い立って、「感受性」を辞書で引いてみた。私の好きな1981年刊行の三省堂「新明解国語辞典」。新しい辞書も買ったし、ウエブで調べてしまうことも多いけれど、どれも違うような気がして結局この辞書に戻る。言葉の解釈、言葉の選び方が好み。

 感受性:〔既成観念にとらわれず〕外界からの刺激によって、感動することが出来る心の働き。

 既成観念にとらわれず、というところがやはりいい。

 年齢を重ねてゆくと、好みと関係のないところで知識や経験が蓄積され、それはときに人間的な魅力という観点から見ればマイナスに作用する。創作についていえばなおさらで、重ねた年月が、その人間のもつやわらかな心の動きを邪魔することも多い。加齢とともに作品の質が落ちてゆく、あるいは自己模倣に走った芸術家が多いことからもそれは明らかだ。

 アナイスの真の才能は、もしかしたら、どんなに経験を重ねても外界からの刺激に感応する心の動きが鈍らなかったことかもしれない。

 私はアナイスほどの感受性はもち合わせていないが、私自身のあり方、存在に対して私自身がイエスと言わなければ、肯定することができなければ、生き続けることができない。そして頻繁に、イエスが言えなくなるときがある。だから本が、映画が、絵画が必要となるわけだが、そこで私はイエスの根拠を探しているような気がする。そしてアナイス・ニンの日記にはイエスの根拠がふんだんにあるから手放せないのだ。

 

 昨夜は、久しぶりにパニックの発作に襲われて眠れなかった。不眠症はずっと続いているが、パニックはここのところなかったからふいを突かれた気分だ。些細な段差につまづくかんじ。呼吸困難、冷や汗、強烈な不安感、発狂への恐れ。

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