★絶筆美術館7:マティス『ロザリオ礼拝堂』
2020/09/16
マティスの絶筆は「ロザリオ礼拝堂」、私はそう思う。
実際にはその後、たとえば死の前年の『青い裸婦』や『花束』といった切り絵を制作しているし、亡くなる直前まで取り組んでいた教会の花窓のデザインがある。この花窓のデザインが「マティス最後の作品」なのだとされることもあるけれど、アメリカのロックフェラー家からの度重なる依頼で制作していたもので、結局完成させることなく亡くなっている。遺族の承諾を得てマティスの作品としての花窓、となっているものの、これを絶筆とするのは違うだろう。
マティス自ら「この礼拝堂は仕事に専心した我が人生の集大成を意味する」と言ったロザリオ礼拝堂の壁画、ステンドグラスの装飾こそ、マティスの芸術的絶筆というにふさわしい。
一九四八年から一九五一年まで、四年間かかり、献納されたのは一九五一年六月。亡くなる三年前のことだ。
南フランス、ヴァンスという小さな丘の町の礼拝堂。そこにマティスの作品が飾られているというのではない。礼拝堂がまるまるマティス作品となっている。
このためだけにヴァンスを訪れる人もいるくらいで、私もその一人、マティスのロザリオ礼拝堂のためだけに、ヴァンスを訪れた。
もう二十年も前のこと、ニースからバスで一時間、雨が降っていて、かなり濡れて教会にたどりついたら、なぜか閉まっていた。周囲をうろうろ、中を覗きこんで人の姿を探したりしたけれど無人で、でも諦めきれずに誰か来るのを待っていた。
友人とふたり旅だった。私たちは無言のまま、外壁に描かれた「聖母子と聖ドミニコ」の線画を見つめた。ひたすらに見つめた。残念無念で声が出なかったのではない。厳粛ななかに、かぎりなくやわらかなものがあって、いつまでも眺めていたかった。
緑と黄色と青で構成されたステンドグラスがもたらす荘厳で柔らかな光の揺らぎ、これは、実際礼拝堂を訪れた人にしかわからない美的体験だと言われる。
壁画は花がちりばめられたなかに『聖母子』、『十字架への道』、創設者である『聖ドミニコ』などがある。いずれも、これぞマティス、ともいうべきラインで描かれている。
なかでも『聖母子』に私は惹かれる。なぜならアンリ・マティスという人を思うとき、壁画のなかでこの『聖母子』がもっともマティス的だと思うからだ。
そして、マティスが人生の最後に描いた作品のひとつがこの絵だったと思うと、じんわりと胸があたたくなる。慈愛、という言葉を想う。
ひりひりした刺激ではなく、やわらかな抱擁を求めるとき、私はマティスの礼拝堂の写真集を広げる。