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○女性芸術家11「レメディオス・ヴァロ」*最終回*

2023/12/28

■レメディオス・ヴァロ(1913~1963)

 スペインのアングレスに生まれる。マドリッドでの学生仲間との短い結婚生活ののちバルセロナへ。そこでシュルレアリストの詩人バンジャマン・ペレと結婚しパリへ。シュルレアリストたちと活動をともにするが、第二次世界大戦勃発とともに政治的理由でメキシコへ亡命。1971年、近代美術館で開催された回顧展では、メキシコ史上最大の観客を動員した。

*1999年「芸術倶楽部」連載の記事です。

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 私がレメディオス・ヴァロという画家を知ったのは最近のことだ。

 書店の美術書のコーナーで新しい画集に目がとまり、手にとった。妖しくて、でも子供のころ見た絵本のような楽しさ。現実とはとても遠いところにあるその絵に私は見入った

 ふわっと、淡い既視感につつまれた。絵から受けるこの感覚、いつかどこかであった。誰の絵だったろう。

 目を閉じて思い出そうとしたけれど、だめ。カバーの「レメディオス・ヴァロ」という名を頭に刻んでその場を去った。

 家に帰り、本棚に並ぶ画集を半分くらい引っ張り出したところで「そうだ!」と声をあげた。

 以前、この連載で紹介したことのあるレオノーラ・キャリントンだった。ヴァロとキャリントンの絵の雰囲気、とてもよく似ている。

 調べてみて、それもそのはず、と納得。

 ふたりは第二次世界大戦によって亡命したメキシコで一種の「共同制作」をしていたのだ。

「メキシコにおけるレメディオスの存在が私の人生を変えました」とまでキャリントンは言っている。

 ふたりは毎日のように会い、精神的・芸術的一致をお互いのなかに見いだし、自らのスタイルと要求に合った新しい絵画を創ろうとした。

 ふたりがのめり込んだものに、精神世界、魔術的世界があったようだが、それはキャリントンよりもヴァロのほうが強かったように思う(これはいつものように私の個人的な意見だけれど、絵を観るとそう感じてしまう)。今回のこの絵もそれが強くあらわれていると思う。

錬金術師、あるいは無用の科学(1958)

 

 部屋の床の模様、白黒の正方形がそのまま服となってひとりの女性を覆っている。彼女は一点を見つめて木のクランクを回す。黄色い光が部屋に差しこみ、その黄色い光のなかには不可解な器具がある(解説によると、これは錬金術師の蒸留器で、窓から落ちてきた液体の滴がこれを通って何らかの物資に変容するらしい)。

 これを理解するのは私には無理。ただそこに彼女の世界を感じるだけ。

 私は魔術とは遠いところにいるので、それについて意見はしない。次に紹介するのは、「レメディオス・ヴァロは魔術を信じていました」と言う、彼女の知人の記録だ。

「彼女は物質の力を信じ、植物と動物と人間と機械的な世界の相互関係に原始的な信仰をもっていました。こんな話があります。あるメキシコの通りで彼女は卵のような形をした果物のなる植物が売られているのを見つけました。魅了されて、彼女はアパートにその一つを持って帰り、植物でいっぱいのテラスの中央に起きました。月光が降り注いでいました。そして絵の具のチューブを周辺に置きました。彼女はこの特殊な植物と彼女の絵の具と月が調和し、それらの結合が明日からの絵画制作によいことをもたらすかのように感じたのです」

 キャリントンと共同制作をしながらも、ヴァロは画家として広く認められることに希望を抱かなかった。

「私は誰かが私の作品を展示したり、買ったりすることなどけっして期待しませんでした」と言うように。

 彼女は他人の評価も他人の目も気にすることなく、自分の世界を絵画として表現し続けた。

 創作の過程で、完成後に出合う意見、感想、評価などが頭をちらついたことのない芸術家は少ないだろう。ヴァロがそうだとは言いきれないけれど、限りなくゼロに近かったのではないかと私は想像し、絵筆を握る彼女に、羨望を抱く。

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