ブログ「言葉美術館」

■執着

 

 なにかを生み出そうというエネルギーは、疲れた体からはわきおこらない。

 誰かのために何かをしたい、というエネルギーも同じ。

 自分にある程度体力的に余裕があり、精神的にも落ち着いていないと私の場合は両方ともだめなんだな、ということを痛感している。

 ベッドカバーをかけたベッドの上に横になってシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』をぱらぱらっと繰る。

 執着。

「執着は幻想をつくりだす。実在するものを欲するなら執着を断つしかない。」

「執着とは、実在を感受する能力の欠如以外のなにものでもない。」

 何に執着をしているか、で脳内スクリーンに映し出されるものは変わってくるのだろうけれど。

 人間関係を思えば、ある人に執着されている人がいて、ある人に執着している人がいる。

 執着している人のことばかりを、不幸だなあ、私もそうなりがちだから気をつけよう、みたいに考えてきたけれど、ぼんやりベッドで思ったことは、執着されている人、あるいは執着されていると感じている人もじつは、実在を感受する能力に欠けているのではないか、ということ。

 うまく言えないけれど、執着する、されている関係性が、もうそういうものだと凝り固まっていて、実在を感受できないでいる、みたいな。

 さいきん聞いたある老夫婦の話から、そんなことを考える雨の金曜日。

 画像何にしよう、ああ、ルドンの花の絵が観たいって検索していたら花が欲しくなった。買いに行こうかな。

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