◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ
■8年前のあとがきと現在のタンゴと処女作と・・・
2023/09/10
4月中旬に発売予定の本、『特別な存在になりなさいーージャクリーン・ケネディという生き方 再生版』の校了日がじわりじわりと迫り来るなか、最後のがんばりのなかにいる。
今日は「再生版あとがき」を書いていて、書きながらいろんなことを思った。
ジャクリーンの本をカドカワさんから出したのが2014年の冬。私は『大人の美学』でも「告白」した「人生の暗黒シーズン」の真っ只中、一日に一度は号泣するような日々が続いていた。
そんななか、同じように苦しんでいたり、元気に私を励ましてくれたり、そっと寄り添ってくれたりしたお友だちがいて、全員女性、というあたりが現在と一番異なることかもしれないな、なんて思いながら、とにかく、そんなお友だちのことを「あとがき」に書いたのだった。
実名を出させていただいたから、今回の再生版を出すにあたり「そのまま掲載してもいいですか?」との確認の連絡を4人のお友だちに送った。そうしたら全員、数時間以内に、快諾の返信をくださった。
私は感激してしまって、だって、8年前のことだし、もう何年も会っていない、お話もしていないという人たちもいるのに、なんてあたたかな人たちなんだろう、って、涙じんわりするくらいに胸が熱くなった。ベッドサイドにおいて、ときどき読み返している、なんて人もいて、嬉しすぎるでしょう。
それぞれの近況も知ることができて、いまとても満たされている人、過酷なシーズンにいる人、ほんとうにそれぞれで、ひとりひとりのことを思い浮かべてしばし、ソファに身をもたせてぼんやりした。
8年の間に、いろんなことがあったんだなあ、って。
私は暗黒シーズンのなかでジャクリーンを書いていたわけだが、ああ、この人のような強かさがほしい、と切実に願っていたことを、ありありと思い出すことができる。
あのとき、お友だちのひとりがくれたメールのなかにあった「私ならできるはず」という言葉がすごく響いて、本のなかで使わせてもらった。ほんとうに、驚くほど私に響いたあのときの言葉をいま、困難なシーズンにいるお友だちに贈りたい。
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このところ、読者の方からのメールが増えてきている。
『大人の美学』を読んでくださった方々から。このことは、生き方シリーズや言葉シリーズと『大人の美学』の違いをはっきり示していることだと思う。
とても嬉しい。涙しながら読んでくださったり、付箋でいっぱいにしてくださったり、ほんとうに嬉しい。書いてよかった。
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2月17日は娘の23歳の誕生日だった。家族3人でお祝いをした。娘の誕生日のたびにいつも思うのは、あの日あのとき私は生(せい)を与えられた、ということ。そして、自死することができなくなった、ということ。
いわゆる子育てというものをしているときには、いまの状況などはもちろん想像もできなかった。娘がひとり出版社を立ち上げ、私の本を出版するだなんてこと。
ブルーモーメントからの3冊は順調に増刷を続けている。
これは新宿紀伊國屋書店さんの風景。300冊近く売ってくださっている。ありがとうございます。
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3月3日は結婚記念日で、毎年の食事は欠かしたことがなくて、娘が一緒のときもあるけれど、今年は忙しいとのことでふたりきりだった。
ちょっと説明し難い関係のふたりではあるし、結婚記念日ってのもどうなのよ、とも思うこともある。
けれど、結婚ということにフォーカスすればたしかに結婚記念日だよね、と私は主張している。今年は26回目の記念日だった。
いま現在、私がどのくらい忙しいか、なんて話をしたときに、ぽろりと口をついた言葉に自分でびっくりした。彼が「肉体労働あり、徹夜あり、だなんてたいへんだねえ」と言ったときだったかな。
「どんなことも、あの子育て経験に比べればなんてことないよ」
言ってから、ほんとにそうだな、って思った。
自分のペースなんてものが1秒もないような日々を思えば、いまの環境はパラダイス。好きなように時間を使えて、思うまま仕事ができるのだから。そしていまは週に一度くらいしか無理だけど、愛するタンゴを踊れるのだから。
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タンゴといえば、さいきんライブに魅せられている。決まった音源ではなくて、そのときだけしか不可能な時間というものに。
いままではほとんど興味がなかったのに、変わるものね。
すこし前のある夜、不思議な体験をした。ある楽器のある演奏者の人と、ちょっと語ったあとだったからかもしれない。
踊る相手と私と、そして彼と3人でタンゴを踊っている感覚を味わったのだ。こんなことはいままでになかった。
演奏者の彼はそんなこと思っていないから、私の得意の妄想にすぎないのだけれど、新鮮で刺激的な体験だった。
深淵な世界への扉を見たように思った。
タンゴを始めて5年。まだまだ未知の世界、深淵なる世界が私を待っているのだと思った。とても嬉しかった。
私は、タンゴを生業としていないし、日本のタンゴ界にも興味がない。ただタンゴを踊らないといられない愛好家のひとりだ。でもこのところすごく思うことがあって、それは私がタンゴを始めたときにいだいた感覚(『大人の美学』でも告白している←宣伝)、私がタンゴに魅せられた理由、その核は、いまでもまったく揺らいでいないということ。
仕事の忙しさ、というより仕事がしたくて、タンゴからすこし距離を置いてみて、わかったことでもある。
私の処女作は『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』(『美神(ミューズ)の恋』で文庫化されている)で、画家とモデルとの関係、とくにモデル、ミューズに焦点を当てた本だ。
絵画に夢中になっていたあのころ、私は美術関連のことをちゃんと勉強したことはない素人だったけど、本を書いた。
なにより感性、絵画との個人的な関係がすべて、ということは私のなかで確実にあった。もちろん名画にまつわるうんちくはたくさんある。けれど、そんなのはどうでもいいと思った
まずはまっさらな状態で絵と向かい合う。そして感動したものに出会い、それについて知りたいと思ったなら「お勉強」すればいいのだと思っていた。
感じるか感じないか、がなによりたいせつ。知識はそのあとでいい。
これはいまでも変わらない。
そしてタンゴにも、これと似たことが言えるのではないか、とさいきん思うのだ。
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今回の「あとがき」そのまま、お名前掲載してもいいですか? という連絡をとったときに、すぐに返信をくださったお友だち。距離はあっても私は彼女たちを近くに感じている。
どんな人が自分の周りにいるか、ということ。
いま、彼女たち、そして実際に会うことが多い、仲の良いお友だちの顔を思い浮かべる。すると、ちょっとした自信がわいてくる。だって、みんな魅力的な人たちだから。
今日は存分に仕事をして、しかもはかどって、よい気分でワインを飲みながらだから、とりとめがなくなってきてしまった。このくらいにしておこう。
*写真は娘の誕生日に買った花。娘の好きなガーベラを中心にコーディネイトした。でも、そういえば、「ブルーの花が好き」と言っていたな、と買ったあとで気づいた。しゅん。