ブログ「言葉美術館」

▪️特別なトークイベントのこと

 

5月11日土曜日は、新刊『私を救った言葉たち』出版記念のトークイベントだった。

前回の出版記念イベントは『カトリーヌ・ドヌーヴの言葉」のときだから、3年半ぶり。

満席で、とても華やかな雰囲気だった。いつもの私だけのイベントよりも年齢層が幅広く、年若い人たちの姿が目立った。

今回は出版社ブルーモーメントの社長であり編集者である娘、竹井夢子との対談。
前半は私が物書きになった経緯(昔話ともいえる)、執筆テーマ、創作活動と日常、といった内容を。

後半は娘が登場し、出版社ブルーモーメント設立の経緯、今回の新刊の企画をもちかけた意図、母娘で仕事をする上でたいへんなことはあるの?ないの?といった内容を。

司会は岡田朋峰(おかだともみ)さん。

彼女は、かなり前から私の本を読んでくださっている方で、しかも強く作品に共鳴してくださっている方で、けれど私ではなく、娘が、仕事を通じて知り合った方。

俳優の岡田眞澄さんのお嬢さまで2019年ミス・インターナショナル日本代表という輝かしい経歴をおもちの、そのような方の隣で喋るってどうなの、とちょっと迷ったけれど、もう比較レベルを超えているので、お願いした。

お願いしてほんとうによかった。私の作品へのあふれるほどの愛が伝わってきて、会場にいらしてくださった、私に近しい人たちも大満足、と言ってくれた。

トークイベントの醍醐味は、読者の方とお会いできること。あの日々、孤独で暗すぎる作業のなか生み出した作品が、こうして、ちゃんと伝わっている、と実感できること。

充実した、心愉しいひとときだった。あんなに自由に自分のこと、生活のこと、執筆のことを話したことはいままでになかったかもしれない。

翌日、参加者のひとりから感想が届いた。

私が最初のほうで話したこと。作家になったきっかけについて問われたときに話したことが胸に響いて、いま自分がかかえている迷いが取り払われたのだと。

それはどんな内容かというと、私が20代の半ばのころ、画家とミューズをテーにした小文を書き始めて、没頭していったときのこと。

女性誌フラウで月2回の連載が決まって、はじめて文章を発表する私にとって、月に2回、作品を創作するのはほんとうにたいへんだったけれど、とてつもない充足感があった。
自分の考えを自分の言葉で表現する、そこには、私でなければぜったいに生み出せない、私だけの世界があった。これだ、と思った。ずっと探していたものに出合えた感覚。

どんなに時間と労力をかけても、それがお金につながらなくても、極貧状態であっても、それに没頭していることを1ミリたりとも無駄だと感じない。そういうことはいままでの人生になかった。この道をゆきたい、と思った。

そんなことを話したのだった。

自分の昔話なんて、と思いながらも、質問にそのまま答えたわけだけれど、それが誰かの胸に響いたのなら、それだけでもイベント開催の意義はあった、と思えた。

ほかにも、嬉しい感想が届いている。ありがとう、しかない。

もちろん「残念だった」と思われた方もいらしただろう。全員を満足させられないのはわかっている。
けれど、私にとっては、やはり今回のイベントのようなこと、いらした方から感動をもらうこともまた、ほかのいくつかの事柄と同様、なんとか書き続けているエネルギーになっているのだなと、あらためて思った、そんなイベントだった。

 

不義理な私なのに、貴重な時間とお金を使っていらしてくださったお友だちにも、あらためて、いつもごめんね、ありがとう、と言いたいです。

そして、娘と私のトークイベントを母に見せたかった。妹が軽井沢から来てくれて隅の席で見守ってくれていた。妹の隣に母がいるような気がしてならなかった。

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