▪️タンゴバー「シンルンボ」✖️Switch3周年イベントのこと
2024/12/22
12月14日土曜日に四ツ谷のタンゴバー「シンルンボ」で「Switch」3周年の夜を過ごした。
予想通り翌日は1日甘やかな余韻と過酷な体の疲労のため廃人となっていた。
そんな状態にある自分自身を観察して、自分のトークイベントの翌日に似た香りを感じて、やはりあの夜は私にとって大きなイベントだったことを確信した。
ミロンガ「スイッチ」の第1夜はちょうど3年前の2021の12月14日。
「2人のDJユニットによる新しいミロンガを始めます。定番から甘い選曲まで、あなたのタンゴにスイッチを入れます」
お友だちふたり(基本的にMさんとTさんとさせていただきます。すぐにわかるので匿名目的ではなく必要以上の色をつけないため)との会話のなかで生まれたミロンガだった。
コロナ禍の後遺症が残っている時期だった。パンデミックで多くのお店が閉店に追い込まれる痛ましい状況のなか、タンゴバー「シンルンボ」はがんばって生き残ってくれていた。この先もずっと存在し続けてほしい。私たち3人にとって四ツ谷のタンゴバー「シンルンボ」はそれぞれに特別な場だった。
シンルンボに一番お客さんが来ない曜日をシンルンボのるりこさん(以後Rさん)に尋ねて、その曜日にミロンガを開催してみようか。でも私たちは集客力がないからたくさんの人たちが来るミロンガにならないことは必須。それに人が多ければいいってわけではないし。宣伝得意じゃないししたくないし。それじゃあお店に貢献できないよ。いや、そのぶん、たくさん飲めばいいよ。そうだねそうしよう。たくさん飲もう。
名前はどうしようか。
Mさんが言った。
「Switchはどうかな。それぞれのタンゴにスイッチを入れるみたいな」
いいね、ふたりのDJだから途中で「スイッチ」!ってなるし。
一緒に話してはいたけれど、ふたりが新しく始めることを後ろからこっそり応援するぞ、みたいな立ち位置にいたかった。じっさい私は踊りに行くだけだし。
わーい、いいねいいね、やってやって!
みたいなノリだった。だからはじめてのスイッチの翌日に書いた記事はこんなかんじになっている。
いろんなミロンガ(タンゴのダンスパーティーみたいなもの)がある。
私はいろんなところに出かけているわけではないけれど、いつも思うのは誰もが居場所を求めている、ということ。居心地がよい場所、自分がいてもいいって思える場所を求めているということ。そして自分が居心地がよい場所がほかの人にとっては居心地よくないこともあり、その逆もまたあるということ。みんなが居心地がよい場所なんて、ありえない。
私の場合、Switchには居場所があると思えたし、居心地がよいことが多かった。だから通い続けた。
そして1年が経過した。
27回の「Switch」があった。
さて。
1年が経過したことだし、より楽しくなるようなことはないかと考えた。
自分が選曲するなら、きっとテーマを決めてするだろう。だったら毎回テーマがあるというのはどうだろう。そのテーマを意識して選曲してもらって、テーマを共有することでダンスフロアになんらかの色彩が加えられるかもしれない。
ということでMさんとTさんに提案してみた。ずっと続けるわけじゃないよ、ネタが尽きたらおしまい、ってことでいいよね、という条件を提示するのを忘れない。
こうして2年目から「Switch」にテーマが加わった。
思った以上にこれはたいへんなことだった。すぐにテーマが思い浮かぶときも稀にあるけれど、そうではないときも多い。
けれど、訪れる人たちは「今夜のテーマ」を意識して来てくれていて、それだけで共犯意識(間違った使い方だけどぴったりくる)が生まれるような、あやしさがSwitchに加わったと私は勝手に感じている。
そしておよそ2年が経過。先週土曜日のSwitch3周年のテーマ「シンルンボに愛をこめて」がちょうど50個目だった。
***
ミロンガSwitchはタンゴバー「シンルンボ」への想いから生まれました。
コロナ禍の余波が色濃く残るあの夜から3年。シンルンボという場にどれだけ救われてきたか。シンルンボでの3年間に想いを馳せるミロンガを開催します。
スイッチ3周年だからスイッチも3回。
5時間たっぷり、2人を加えた4人のDJでフロアを彩ります。
スイッチの扉はいつでも開かれています。
***
この「2人を加えた」の2人はRさんと私。ちょっと前にMさんとTさんからDJを提案されたときには絶対無理、と断っていたのだけれど、時が流れて再び提案されたとき、やってみようかな、1人1時間だし、と思ってしまった。
Tさん→私→Rさん→Mさんの順番となった。
引き受けてから1ヶ月の間、その話になるたびに「はじめてのDJですか」「DJははじめてなんですね」という言葉と遭遇することになった。
自分のプレイリストを流していた場はこれまでにもあったけれど、あらためてDJとして曲を流すのは、そうか、はじめてなんだ!
「はじめて」を意識することになった。この年齢になって「はじめての体験」はそう多くはないような気もするぞ。
たいへんなことを引き受けてしまったのだと気づいたのは、選曲に取りかかり始めてから。
ダウンロードの方法、曲のカット、フェイドイン・フェイドアウト……ぜんぶはじめてづくしじゃないのよ。Tさんがやさしく教えてくれた、ありがとう。
今回は3曲タンダ(3曲でワンセット)ということになっていて、次のタンダとの間にコルティナ(カーテン、幕間という意味)を流すことになっていた。
ここで、はじめての選曲作業がどれだけ大変だったか、どれだけ時間を使ったかの素人苦労話はしない。
ただ、私は割り当てられた6タンダを映画的舞台的に作りたかった。だからそれぞれのテーマをガラリと変えた。幕間に流す曲も、前の舞台の余韻を断ち切って次へ繋がるものを選んだ。そしてなんといってもライブ感がほしかった。ほとんどの曲、ライブの音源を探した。
フロアを想像する。舞台に立つ人たち(フロアで踊る人たち)を高揚させ、どっぷりと浸らせたい。
時間が経つのを忘れてのめりこむなんてこと、執筆がゾーンに入った時以外に経験がなかった。
いつもSwitchDJをしているふたりは余裕だったけれど、Rさんは慣れているはずなのに、不思議だ、とても考えて悩んで緊張して愉しんでいた。
SwitchがあるのはRさんのおかげ。これは3人共通の認識。
だからこそRさんにDJを、となったわけだけれど、DJをするとなってから当日まで何回かお会いするたびに、日々の思考、時間がどれだけ12月14日の1時間にとらわれてしまっているかといったことを、興奮気味に語り合った。
前日の彼女のブログに
「私も頭を抱え込みながら、臨みました。先ほど、火曜日ぶりに選曲を聴き、もう、これでゆきます。温かくみまもってね」
とあり、まったく同じ気持ちです、と言いたくなった。
何度も何度も書き直して、ときには章のテーマそのものをごっそり変えて最初から始めたり、もはやここまで、と思っても翌日また書き直して、締め切りがなければ永遠に手を加え続ける原稿書きと選曲はとてもよく似ていることに、選曲をしながら気づいた。
なので原稿書きのときと同じふうにすることにした。いったん完成した、としたものを寝かせるのだ。数日、見ることも考えることも自分に禁じてほかのことをする。できれば1週間以上寝かせたい。
そしてもう一度最終的に手を加えて、といったことを再び何度か繰り返すと、そのうち、もうやるだけのことはやった、という感覚がおりてくる。
こうして私は本を書いてきたわけだけれど、ほんと、まったく同じことが今回の選曲でおこったということは、自分が表現したいことを自分だけのやり方でする、ということにおいて両者はとても近いところにいるということなのだろう。
大阪での仕事を終えて帰宅途中、最寄りの駅近くのいつもの花屋さんに行った。真紅の薔薇と真紅のガーベラを選んだ。るりこさんへの愛をこめて。
帰宅してお花にそえるカードをつくった。めんどくさいなあ、って感覚がぜんぜんないことがほんとうに嬉しい。
当日は朝から落ち着かない。何をしても手につかない。どきどきわくわく。これも自分のトークイベントのときとよく似ている。
ようやく夕刻になって、赤いワンピースに着替えて、お花屋さんで前日オーダーした花を受け取ってシンルンボに向かった。
濃密な5時間だった。
たくさん踊って、そして3人の選曲に集中した。
Rさんとは予想通りかぶった曲もあった。同じ曲を選んだことが私はとても嬉しかった。
フロアの風景はいつもにも増して美しかった。自分の心の色彩を通して見るわけだから美しいはずなのだろうけれど、美しかった。
タンゴを踊り続けていてほんとうによかったと思った。
選曲について何人かの人たちから、ちゃんと聴いていてくれているんだ、とわかる言葉をいただいた。私はタンゴの友人にとても恵まれているのだということをあらためて感じて、涙が出そうだった。
人生にタンゴがなければどうなっていただろう。
いろんなことがありながらも、私がタンゴを続けていられるのはSwitch、そしてシンルンボがあるから。
なければ探す。探してもなければ創る。人生のよろこびについてふかく考えさせられた1日でもあった。
以下は、これまでのテーマタイトル。そのときそのときの気分で決めているけれど、Switchで過ごしたときに感じたことが次回のテーマに反映されていることが多い。繰り返すけど、ちょうど土曜日のSwitchが50個目のテーマだった。
さて、これからどんな色彩を加えていこうか。
◇これまでのSwitchのテーマ:記録
2023年
1.24「愛されるためにここにいるわけじゃない」
*タンゴが印象的に使われている大好きな映画「愛されるためにここにいる」から。
2.14「ダンスかタンゴか欲望か」
*ダンスとタンゴは違うと思いたい。タンゴと欲望も違うと思いたい。そんなふうに強く思ったことがあったから。
2.28「心に物語をもたずに踊ることなかれ」
*ダンサーのルドルフ・ヌレエフの大好きな言葉から。
3.14「予感と余韻と、その間にあるもの」
*踊っているときだけがタンゴではない。という強烈な想いを短い時間軸であらわしてみた。
3.28「虚飾にまみれる快楽」
*虚飾がないタンゴを踊る人は少ない。いじわるな皮肉でもあり、自堕落的な感覚もあり。
4.11「ふたりで踊っていないときの横顔」
*踊っていないときにそのひとがあらわれると私は思っている。フロアを見つめているひとの横顔を見るのが好き。
4.25「タンゴの魔法にかけられたひと、とけちゃったひと、魔法の正体を見つめるひと」
*Mさんとの会話から。
5.9「記憶に刻まれるやさしい夜」
*やさしい時間を体験して(誕生日にまつわる会)やさしいじかんだったなあ、って考えていて、やさしいにもいろんな種類があるなあ、って思って、そんなのをテーマにしたタンゴ、選曲を聴きたかった。
5.23「アブラッソで伝えられないもの」
*アブラッソで、だいたいのことはわかる、とか言われるけど、だいたい以外のものってどんなのだろうと、ふと思ったので。(私は大阪出張のため不参加)
6.13「何が欲しくてそのフロアに立つのか」
*大阪のミロンガで感じたことのひとつ。いろんなフロアがあるなかで、そこに立つ自分に問いかけた言葉でもあるし、踊る人たちに問いかけたい言葉でもあった。
6.27「さびしさが降りそそぐ夜のためのタンゴ」
*さびしさにおしつぶされそうだった。でもそんなときこそのタンゴ。
7.11「喧騒のなかのあまやかな孤独」
*おしゃべりがたくさんのミロンガが苦手。でも騒々しいほどにひとりの世界に没入する。踊っているときはもっとそうなる。それは悪い感覚ではない。
7.25「その夜フロアに落ちた、やさしい嘘の数」
*何の映画かは忘れたけど「ある統計によると、人は10分間に平均3回の嘘をつく」というセリフを思い出して、それでは1タンダではどうなのかな、と思ったので。
8.8「誰も見ていないかのように、踊りなさい」
*dance like there's nobody watching. マーク・トウェインの言葉として知られいるけれどアメリカの作家ウィリアム・W・パーキーの詩がオリジナルのよう。アメリカではダンスの格言として有名で、インスパイアされた楽曲や、詩をそのままプリントした商品もあるくらい。
誰も見ていないかのように踊りなさい。
傷つくことなんてないかのように愛しなさい。
誰も聴いていないかのように歌いなさい。
そして、地上の楽園にいるかのように生きなさい。
You've gotta' dance like there's nobody watching,
Love like you'll never be hurt,
Sing like there's nobody listening,
And live like it's heaven on earth.
8.22「奇跡なタンダのあとの放心。そんな時を求めて今夜も」
*すぐ次の人とはとうてい踊れないようなそんなタンゴをいつだって体験したいと思っている。
9.12 「ルールは何もない。心の声に従うだけ」
*映画「キルトに綴る愛」のセリフ。人生のパートナーに出会いたい、でも、
この言葉について以前、本に書いたことがある。
「ひとは単色で成り立っているのではなく、
タンゴに出合って、これはまさにタンゴそのものだと思った。
ネストル・マルコーニ&朴葵姫のコンサートの余韻から浮かんだテーマ。
*熱い夜に、5時間のミロンガ。それぞれが思うタンゴの時間を過ごせる空間にしたいです。ためらいを脱ぎ捨てて、思うがままのタンゴにスイッチしよう。
*リードがわかりにくくても、少々強引でも、世界観が強烈にある人とのタンゴ。印象の薄い、正しめ(たぶん)のタンゴよりも私は好きだなあ、とここのところ感じる機会があったので。そして選曲も同じだなと。
*このところタンゴを踊っていて、
*DJすみれさんとの3人のDJ。フロアやフロアを眺めている人を眺めていると、ああ、いまジェラシーであふれている、と思うときが多いので。
*タンゴは私にとって、なにかとても、つよいコラソンを感じられるものなので。
*これはそのまま。私が想う魅力的なタンゴに不可欠なもの。スポーツじゃないんだから。
いつも熱い演奏を聴かせてくれるカルテット、メンターオの皆様をお招きして、ライブミロンガを実施します。
*あるミロンガでみかけた目の見えない男性のタンゴがコラソン、こころにしみたので。
*恋のはじまりについてのエッセイを書いていて、あのはじまりのときの感覚、タンゴにもあって、そんなのを忘れちゃっているときもあるなあ、なんて思ったものだから。
*いつまでも慣れたくないのは恋とタンゴ。
いくつも人生の片鱗を踊った「10人のDJ、10の物語」
このこともブログに書いてる。
なにか、ちょっと毒(ポワゾン)っぽいのもタンゴにはあるなあ、と思ったので。どんな選曲、どんなフロアになるのだろうという興味から。