▪️トルコ旅行記1日目 飛んでイスタンブール🎶
2024/11/07
旅行を思い立ったのは『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』を観ている途中、そして観終わったときだった。
ーー私はこの映画を観て、「外」に出よう、旅に出よう、と決めたのだった。…と、6月26日のブログに書いている。
海外旅行が簡単にできなかった時代、その生涯、ほとんど旅だったんじゃない?と思えるほど、旅を愛し、そして旅からインスピレーションを得ているマイヤ・イソラに強く惹かれたし、人生において、肉体的にも精神的にも経済的にも環境的にも「旅に出られる時期」なんてそうあるわけではなく、まさに、いま、その時期にあると、あらためて強く感じたからだ。
行き先に迷いはなかった。4年前、娘と行こうかと話していたらコロナ禍で不可能となったイスタンブールに行こう。イスタンブール。歴史を私なりに勉強した20代はじめから、ずっと魅力的な都市だった。
「今年の秋、イスタンブールに行こうかと思うんだけど、同行する?」と尋ねたら「いいよ」という軽い返事。お互いの仕事のスケジュールで10月26日ー11月1日の1週間の日程だけを決めて、月日が流れた。
10月11日から14日まで台北でタンゴを踊ったり、新刊の原稿締め切りに追われたり、早めにとらなかったら飛行機やホテル代がすごく高くなっていて折れそうになったり、事前に読んでおきたかった本のうち幾冊かは読破できないままだったり、娘は娘で見ているこっちの目がまわりそうなくらいの仕事量をこなして、ひじょうに慌ただしく旅立ちの日を迎えた。
イスタンブールに4泊。カッパドキアに1泊。5泊7日のトルコ旅行。
トルコ旅行、なんて言えない程度だけれど、そして、すばらしい旅行をしてきました、なんてとうてい言えない旅だったけれど、旅行記を書こうと思う。
娘との2人旅だ。娘のことはYと表記する。
★10/26(土)1日目 旅立ち〜イスタンブール旧市街のホテルへ
▪️飛行機座席事件
成田発10:35のターキッシュエアラインズ、直行便で13時間10分のフライト。
渋谷から成田エキスプレスで成田へ。空港のチェックインカウンターは閑散としていた。オンラインチェックイン済みなので、スーツケースを預けるためカウンターへ。すぐに済むはずの手続きだった。けれど。
カウンターの女性が私たちに問う。
「英語は話せますか?」
代表でYが答える。
「少し話せます」
カウンターの女性が、ちょっと困ったわ、といった表情でさらに問う。
「少しとは、どのくらいでしょうか」
なぜ、荷物を預けるためのカウンターで英語力を詰問されなければならないのか。
と力を入れるほどのことではない、謎はすぐにとけた。
私たちは「行きはたぶん寝ないで過ごすからちょっと贅沢しよう」とエコノミー料金に課金して、足をのばせる席、つまり非常口至近の座席を予約していたのだった。その席は何かが起こったとき、何かをしなければならず、だから健康体でなければならないし、特別な説明が英語でCAさんからなされるから理解できなければならない。その条件を満たしてはじめてその席に座れる、ということなのだ。
「違う席にしますか? 一番後ろの席が空いています。3列シートで隣はいません」
私たちの態度に不安になったのであろうカウンターの女性が優しく言う。
語学劣等感いっぱいの私はびくびく。「隣がいない席なら動けるし、いいんじゃない?」とYに提案。同じく怯えていたYも「そうだね」とうなずく。すると「ああ、でも」とカウンターの女性が眉をしかめる。「お金払っていますからもったいないですね、英語、簡単なのはわかりますよね?」
そうだ、お金がもったいないじゃない! とハッと気づく私たち。Yがこれまでの態度にちょっと自信を足して言う。
「説明程度の英語なら聞き取れます」
カウンターの女性は「そうですか、だいじょうぶですね?」とにこやかに微笑んで、そしてウインクでもするような調子で続けたのだった。
「説明するのが優しい人ならいいですね。でもどんな人であっても英語できないとは言わないでくださいね。私、クビになります」
私とYの間に共通の緊張が走った瞬間だった。
大丈夫だよね? 私は無理だよ? とYにせまりながらカウンターを後にした私にYはうっとおしそうに、いいえ、頼もしく、言ってくれた。
「ヒアリングは大丈夫」
それでも飛行機が飛び立つまで、どきどきだった。なんとかなるよね、だいじょうぶだよ、なんにかあったときは、ゼスチャーで、こっちこっち、ここから滑り降りて、ってやればいいんだよね、とか言いながら、なぜかラーメンが食べたい、と一風堂のラーメンを半分こして、だいじょうぶだいじょうぶ、と励まし合い、搭乗して座席についても、あのCAさんなら優しそう、あのひとは怖そう、とせまりくる英語テストにびくびくだったというのに。
なにもなかった。なんだったのだろう。
「思えばスタートからトルコに嫌われていた」とはYの感想。
▪️「オスマン帝国外伝」のこと
トルコとの時差は6時間。13時間のフライト後、到着は現地時刻で17:45。着いたら眠るだけのスケジュールなので、機内では眠らないほうがよい。そんな13時間は長かった。ひじょうに長かった。
トルコ語を練習しよう。こんにちは=メルハバ、ありがとう=テシェキュルエデルム、強調したいときはチョクをつける。チョクチョク テシェキュルエデルム。なんて難しいんだ。
iPadにダウンロードしておいたドラマを観て過ごした。ドラマのタイトルは「オスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム」、原題を直訳すると「壮麗なる世紀」。 2011年から2014年に渡ってトルコで放映されたテレビドラマで世界80カ国で放映され、8億人が視聴したという。
私はお友達のMさんから熱烈に勧められて、そしてハマった。「カトリーヌ・ドヌーヴの言葉」を書いているときに観たい欲望をコントロールできなくて寝不足になっていた記憶があるので2019年のこと。
スレイマン1世の時代、最盛期のオスマン帝国の物語。
もともとトルコ(モロッコもだけど)の雑貨や布地が好きで、学芸大学の五本木に住んでいたとき、3階のサロンはトルコ的モロッコ的な室内装飾にしていたくらい。いまの部屋もそんなかんじ。
だからドラマは楽しかった。衣装も家具も、そしてイスラム世界のしきたりも新鮮で、いままでにない感動を味わっていた。内容は「愛と欲望のハレム」って副題がついているくらいだから、もうどろどろで、観ていると、私ったらなんて優しくて素直で謙虚なんだろう、って感動してしまうほど。
そしてこのドラマのおもな舞台となっているのがトプカプ宮殿のあるイスタンブール。私のイスタンブールに行きたい熱を煽ったのがこのドラマなのは確かだ。
イスタンブールに行く1週間くらい前から、2度目となる視聴を開始して自分を盛り上げていたのだった。
今回が何度目の海外旅行になるのか、訪れた国の数ではなく、旅立った回数としては20回目くらいだろうか。イスラミックワールドははじめてだ。
「オスマン帝国外伝」はおさえたものの、事前学習不足なのが痛恨の極み。
グルメやショッピングだけではない旅を提案していた、懐かしい「アートサロン時間旅行」がいま欲しい。テーマは「ちょっと知的にイスタンブール」(初回のテーマは「ちょっと知的にルーブル美術館」だった)。「ちょっと知的にトプカプ宮殿」でも「ちょっと知的にブルーモスク」でもいい。あったら絶対に参加してる。
知識は不充分だから、とにかく感じる、ってことを意識しよう、と決めた。はじめてのイスラム世界を、肌で。イスラム世界と非イスラム世界との争いの歴史、そしていまこの瞬間も行われている殺し合い。そういったことにつながる事柄も、自分なりに、何かを感じとることができたなら。
ところで、どうでもいい話だが、3列シート、隣は年齢はYと同じころ、つまり二十代半ばくらいに見える、肌の白い大柄の男性だった。
彼は身動きせずに眠り続けていた。
なのに2度の食事時には目を開けて完食。
2度目のときは、起き抜けなのに、パンに食材を器用に挟んでサンドイッチを作っていた(Yによる観察)。
エコノミー症候群にならないかな、と心配するY。トイレに一度も行かないなんてすごい、と感心する私。
そして彼は眠っている間、長い足を思う存分伸ばしていた。座席の特質・特典を満喫しているその姿は爽快ですらあった。
▪️黒い点々事件
イスタンブール空港に無事到着。
空港はとても広い。とてもとても広い。たくさん歩く。けれどぱんぱんにむくんだ足はウォーキングを喜び、スカーフを頭に巻いた女性たちの姿に、ああ、イスラム世界に足を踏み入れたのだわ、と実感する。
空港から予約したホテルまで車で1時間弱。予約しておいた送迎の車は8人くらいが乗れるバン。
広々としていて、寡黙な運転手さんは寡黙だから静かで、私たちはぼんやりと窓外の景色を見ながら…と言いたいところだが外はすでに暗く、街明かりもほとんどなく、何も見えなかった。
街明かりがちらほら見え始めたころだろうか。
隣でYがつぶやくように言った。
「ねえ、天井にある黒いの、虫かな?」
瞬間、「虫だとしても虫じゃないって言おう」と決意した。
Yの虫嫌いは病的で、一匹でも車内にそのようなものを発見したなら、つかまえて外に出してくれ、って言うに決まっている。めんどうだ。そんなことしたくない。絶対虫じゃない。
私は固い決意を胸に天井を見上げた。たしかに、黒いのがある。いっぱいある。ざっと30個くらいかな、ある。何かのスイッチに違いない。それかトルコ特有の空気孔。
Yが言う。
「最初見たときと位置がずれているんだよ、…目の錯覚かな? 疲れてるから…」
私はじっと天井を見つめた。
目の錯覚だったらどんなによかっただろう。それが疲れによるものだとしても、疲れで目がちらつくなんて気の毒だけど、そっちがよかった。
認めたくないけど、動いているよ。そしてスイッチも空気孔も動いたりはしないよ。
虫が天井にはりついている。30匹もの虫が。真上に。
これはまさに。そう、まさに、虫唾が走る光景。
「虫のようだね。でも穏やかな虫だね、あまり動かない」と、虫唾が走ったことを隠しながら私は言った。
ありえない、とふるえるY。
「スカーフをかぶろう」
私はふだんからスカーフを持ち歩いているし、そしてイスラム世界だからYもスカーフを持ってきている。私たちはバッグからスカーフを取り出し、そっと頭に巻いた。
「こうしても違和感のない国でよかったね」と頷き合う。写真まで撮ってしまった。
そして道の悪いところを車が通るたび、車体がバウンドするたび、虫が落ちてこないように祈った。
がんばって虫。そのまま天井にへばりついていてほしい。そしてどうか早く、早くホテルに着いて…。
ヒシャブ(スカーフのこと)をかぶって祈る私たち。なんて言ったら不謹慎。
ようやくホテルに着き、運転手さんに多めのチップを渡し(空港で両替したばかりなので小額紙幣がなかった)、運転手さんの姿が見えなくなると、スカーフをバサバサとはらって、コートもパンパン叩いて、虫がついていないのを確認し合って、フロントへ。
▪️「アー・ユー・シスターズ?」攻撃
ホテルの名はSeven Hills Palace & Spa。
イスタンブール旧市街にある、とてもイスタンブールっぽい内装の写真に惹かれて選んだホテルだった。
気をとりなおしてまいりましょう、とフロントデスクへ。
そしてフロントのおじさまの第一声をどうぞ。
「Are you sisters?」
あなたたちは姉妹ですか。
日本でもときおりなされるこの問いをYは嫌がっている。
母(私)はけっしてすごく若見えなわけじゃないのにそう見られるってことは自分がかなり年配に見られているのである、という分析結果による。(中学生のとき父親となにかの会に出席して「夫婦ですか?」と問われたときには本気で落ちこんでいた。彼女の父親はおかしなくらい若く見られるのでしかたないといえばそうなるのだが)。
さて。
「アー・ユー・シスターズ?」
この言葉をいったい旅行中に何度聞いたことだろう。直接話す人だけではない。歩いていると大声をかけられるのだ。通りすがりに、あるいは通りの向こう側から。「Hi!」がわりのように。
いままでふたりだけで歩いた海外の街ではこんなことはなかった。ベルギーのブリュッセルもブリュージュも、上海もソウルも。
2日目だったか、さすがにうんざりしてきた私たちは、声をかけられるたびに「また言ってるし」「うるさいし」「姉妹じゃないし」「おやこだし」「もうやめてくれ」などといったことを悪態っぽくつぶやくようになった。
Yは言った。きっとトルコの文化なんだよ。歳の離れている女性2人を見たら「姉妹?」って声をかける、そういう文化があるんだよ。褒め言葉、お世辞として。
なるほど、そうとしか思えなかった。でも、いまネット検索してみたけれど、そういう文化があるというのを見つけられず。ご存知の方がいらしたら教えてください。
さて。
期待していたホテルの部屋は、いかにもイスタンブールという部屋を作りました! という部屋だった。サイトにあった写真は嘘ではなかったということだ。けれど残念。だからほとんど写真を撮っていない。
▪️驚愕のトルコ料理
ホテルの部屋の落胆が帳消しになるような、おいしいトルコ料理を食べよう。
私たちはすぐに部屋を出て、夜のイスタンブール、旧市街を歩いた。ホテルは立地も考慮したので、繁華街にあり、歩いてすぐにいくつものお店が並ぶ道に出た。
そして「アー・ユー・シスターズ?」攻撃を浴びながら、ニイハオ! コンニチワ! の声を浴びながら、強烈な客引きから身を隠すように、たまたま客引きがいなかったレストランに飛びこんだ。
飛びこんだ割には、落ち着いた、なかなかよいかんじのレストランだった。
トルコビールが飲みたいと言うと、EFES(エフェス)を勧められた。世界遺産の古代エフェソス遺跡が名前の由来の代表的なビール。かなりさらりとしている。そんなに好きなタイプのビールではないけど、滞在中はよく飲んでいた。
イスラム教国なのに、ビールもワインも充実してるのはトルコが政教分離の国だから。トルコ共和国、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクさま、ありがとう。
お腹が空いていた。
でもきっと量が多いから、と小さめに見えた揚げ物ミックスを一皿と、やっぱりトルコに来たらケバブよね、とケバブ料理の一番小さいのを一皿頼んだ。
そんな私たちに、「これサービスね」とお店のおじさまが一皿テーブルにおいてくださった。ピタパンとフムス(ひよこ豆のペースト)、あと何かのペースト。
美味しかった。そして、どっさりとあった。この一皿で充分、というほどの量だった。すでに次のお皿が来るのが恐怖だった。
そして、きっと量が多いから、どころではなかった。揚げ物も、ケバブ(肉と野菜の焼き料理)もどっさり。
私たちは2人とも少食なのだった。
そして2人とも肉が好きではなかった。なかでも羊肉はほぼ食べられない。なのになぜケバブなんかを頼むのか。と、私だってあのときの私たちに言いたい。
でも、初日の夜だ。なんとしても、ザ・トルコ料理に挑戦したかった。トルコ料理はフランス、中国と並ぶ世界3大料理のひとつだもの。そうよ。牛肉と鶏肉なら食べられるし、焼き野菜も食べたかった。
しかし、いかんせん量が多すぎる。
そしてYが頼んだトルコ式お茶「チャイ」は、何度言っても、テーブルに来ることはなく、Yの喉はカラカラ。
Yはアルコールをほとんど飲まないので、ビールをわけることもできない。何度目かの催促のとき、「チャイ」は時間がかかるんだよー、とか信じがたいことを言われて、しかたなくジュースをオーダーしていた。「チャイ」がようやく運ばれてきたのは、もう帰ろうかという頃。しかも二つ、私の分まである。もうだめ。お腹がはりさけそう。
こんなに残したら申し訳ない。でも、もう食べられない。どうしよう、こわい顔してるおじさまだし、叱られるかも。
そこでグーグル翻訳で「とても美味しかったのですが、おなかがいっぱいで食べられません。残してしまってごめんなさい」のトルコ語を表示し、これを見せよう、と準備してから、おじさまにお会計を頼んだ。
けれど、どこからともなく現れた少年のような店員さんがさくっとお皿を下げ、残した量を、一皿サービスしてくれたおじさまに見られずに済んだのは幸運だった。かくして、グーグル翻訳のトルコ語を見せることなく、私たちは優雅にお会計を済ませたのだった。
それにしてもイスタンブールは物価が高かった。円が弱すぎるとも言えるけど、毎回、青山や銀座のそれなりの店で食事をしているくらいのお金が飛んでイスタンブール(言わせて)。
残念な部屋に戻ってシャワーを浴びて、気を失うように眠りについた。こんなふうに眠気におそわれて、入眠をおそれることなく眠りにつけたのは、いつ以来だろう。眠気ってこんなに気持ちのいいことなんだ。