◾️ポルトガル&イタリア旅行記*旅立ちから1日目
2025/10/07
★9/24-25★旅の始まりからYの屈辱、暗闇事件、ファッションウィークのミラノでYが食べすぎる
◾️旅立ちと「ポルトガル」へのこだわり
ポルトガルとイタリアに7泊9日の旅をしてきた。
「昨年のトルコ旅行記、わたしのまわりでファンが多いんだよ」と娘に言われていたので、その気になってまた書くことにする。
そう、今回も娘とのふたり旅。前回と同じく彼女のことはYと表記する。
今回の旅行の行き先については、初夏のころからふたりの間で静かなる攻防戦が繰り広げられていた。
ヨーロッパに行こう、ということでは一致していた私たちだが、行き先の希望が割れていたからだ。
Yはフランス(パリ中心)とイタリア(ミラノ、フィレンツェ)推し。
私はその辺りはもう行ったことがあるので違うところに行きたい。死ぬまでに行ってみたいところとして、スイスのバーゼル美術館(オスカー・ココシュカの門外不出の傑作『風の花嫁』がある)、それからドイツのノイシュバンシュタイン城(耽美な殿方ルートヴィヒ2世ゆかりのお城)、スイスのシリス・マリアの渓谷で「マローヤの蛇」(霧が谷をうねる自然現象)も目撃したい。それからポルトガル。スペインには2度行ったけれど、隣国のポルトガルは未経験、ポルトガルのリスボンでファドを聴きたい。郷愁ただよう(はずの)街並みを歩きたい……。
静かなる攻防戦とは結局のところ、それぞれに「あなたの希望を尊重したいと思ってる」という優しいふりをしつつの「ぜったい、ここは譲らないもんね」の駆け引きである。そこに気候の問題、移動の問題が加わる。
結果、ミラノ(日帰りでポルトフィーノ)→フィレンツェ→リスボン(日帰りでポルト)という旅程となった。
私の目的地はポルトガル。Yの目的地はイタリア。私が書く旅行記なので、旅程は逆でも「ポルトガル&イタリア旅行記」と、どうしても、したい。
さて。
飛行機のチケットをとろうという時、Yが言った。
「ミラノ直行便エコノミーと上海トランジットありのビジネス、それほど値段が変わらない。どっちがいい? 私はだんぜんトランジットありのビジネス。フルフラットの座席だよ。時間はかかるけど」
私のこれまでの人生にビジネスクラスの飛行機で移動という選択肢はなかった。しがない物書きなので当然のこと。しかしながらトランジットすることで、時間がかかっても、快適な空の旅ができるなら。
「ちょっとは高いんでしょ」
「うん。でもホテル代を飛行機代にまわそうよ」
そうだった。昨年のトルコ旅行で私たちは学んでいた。過酷な旅程ゆえ、ホテルではひたすら失神のみ。良いホテルに泊まる意味はほとんどなかった。
「そうね、ホテルは最低限の快適さがあればいいね、そうしよう」
◾️「金髪の子ども」と「人は見た目がすべて」
そして中国東方航空のビジネスクラスの座席は快適すぎた。
航空会社のサイトにある通り「ヘリンボーンと呼ばれる配列で、斜めに配置されたシートは全席から通路に直接アクセスでき、1席ごとに壁で仕切られたプライバシー性の高い座席」。
こういう経験をするのはよくない。もうこれじゃないとだめなからだになってしまうじゃないの。飛行機で寝返りをうったのは初めてだった。
旅立ちの前日の夜はアルゼンチンタンゴの特別なイベントがあって、踊りまくっていたから、よけいにフルフラットの座席がありがたかった。足のマッサージも念入りにできたし。
もちろんサービスもよい。CAさんはとても丁寧だった。私には。
けれどYはずっと「子ども」扱いされていた。
たとえば機内食のとき。食事の際にはテーブルクロスがかけられ、ナプキンにつつまれたカトラリーが提供され、レストランのコースのように、前菜、スープ、メイン、チーズ、デザート、さまざまにチョイスできる。
そして私はCAさんに尋ねられるまま好きなものを選び、ワインを飲み、おかわりし、優雅に食事を堪能したのだが、Yはあからさまにぞんざいな対応をされていた。「コースの内容を説明したってどうせよくわからないんでしょ」みたいな。スープも選べず、チーズもデザートもなかったことになってるみたいな。
「子どもだと思われてる。なめられてる」
とYは言った。
「金髪だからかな」
と私は言った。
この旅行前、Yは髪の色をハイトーンにしていた。とても似合う。けれどやはり雰囲気が軽やかになるので、もともと童顔ということもあり「子ども」的なのは否めないかもしれない。機内用の服ということもあったかな。いままでの旅行で、こんなにもあからさまにお子様対応されているYを見たことはなかった。
人は見た目がすべて。
人間の内面を見つめたい物書きとして、禁句的なこのワンフレーズを、この旅行中、私は何度も頭に思い浮かべ、口にすることになる。
中国東方航空、ビジネスクラスでの「Yの屈辱」と「人は見た目がすべて」。言い換えれば「こんなに見た目で判断される」になるかな。同じか。
とにかくここから私たちの旅行は始まった。思えば象徴的な出来事だった。
◾️旅行初日の早朝に起きた暗闇事件
羽田を8時40分に発ち、上海での数時間を含めた18時間後、ミラノのマルペンサ空港に降り立った。
荷物をピックアップして空港を出るころには20時半を回っていただろうか。ホテルはミラノ中央駅のすぐ近くだったので1時間ほど電車で移動する予定だった。けれど電車がなんらかのアクシデントで止まっているという。ということでタクシーでホテルに向かった。円安もあり、タクシーはひじょうに高額。
「NYX ミラン バイ レオナルド ホテルズ」にスムースにチェックインして部屋へ。
疲れていたけれど、部屋にあるミネラルウォーターでは足りないということで中央駅構内に水を買いに出た。時間は22時ちょっと前。お店が閉まるのが22時。ゆえに中央駅構内をダッシュしながら水を探す。唯一開いていたのがマクドナルド。そこで水とビール(私用)と緊急時用のマフィン(Y用)となぜかポテトを購入、ポテトをぽりぽりしながらホテルに戻った。それから気を失うように眠りについた。
事件は翌朝起きた。
ふたりともほぼ同時に目を覚ましたのが朝の5時。朝食をプラダカフェでとる予定だったので、早めに準備をしましょうということになった。
それはYが先にシャワーを浴び、私がシャワーの準備をしているときだった。
突然、目の前が真っ暗になった。外はまだ暗い。部屋の電気がすべて消えたのだ。
そういえば、Yの悲鳴が同時に聞こえたような。
「ドライヤーから火が出た」とYがなぜかワクワクモードで言う。「びっくりしたー」
「まさか、新しいほうの変換プラグにつないだ?」
「うん」
「だめだよ、それは電圧に対応していないから、ドライヤー用の変圧プラグを隣に置いておいたでしょ」
「えー」
フロントに電話をしたらすぐに修理道具をかかえた男性が来てくれた。
「ドライヤーを使ったら真っ暗になっちゃったんです」
優しい男性は部屋のブレイカーをいじって、それから部屋の外の何かをいじって、部屋に電気が戻った。
ブレイカーが落ちたのはわかった。だからブレイカーをあげれば部屋の電気が戻るのもわかっていた。
私はひたすらドライヤーの命が心配だった。きっと壊れたのだろう。でも壊れただなんて信じたくない。
「絹女 Kinujyo」というブランドのドライヤーを私はこの旅行の数日前に購入していた。
数ヶ月前に、何年も愛用していた絹女が壊れてしまって、でも高額なので「モンスター」という名のドライヤーを購入して、それは名前の通り爆風なのだがとても重いのだった。それでも我慢して使っていたのだが(もったいない)、ときおり腕の痺れを発症する私にはつらかった。
腕の痺れがちょっとひどかったある夜、突如として思った。なんのために毎日重いドライヤーに我慢しているのか? 絹女が好きなのになぜ購入しないのか? 旅行中あの軽くて爆風の絹女があったならきっと快適に違いない……。
そして購入に至ったのだった。
けれど私は確かめなかった。安いからこれにしよう、と決めた絹女が安い理由は海外の電圧に対応していないからだと。
絹女は海外でも使える、と信じこんでいたのだった。けれど、信じこんではいたけれど、万が一のことがあったら嫌だから念のため、と変圧プラグをちゃんと持参して、それを絹女の隣にそっと置いておいたのだ。
しかし、一連のことをYに伝えることをしなかった。そう、Yに言わなかった私が悪い。
修理屋さんの男性に私はうったえた。これ、壊れちゃってます? 泣きそうになりながら迫ると、優しい男性は、確かめてきましょう、と部屋を出てゆき、10分後くらいに戻ってきて、同情に満ちたまなざしで私に優しく言った。
「おなくなりになっています」
いや、「こわれています」と言ったのだが私の耳にはそのようなニュアンスで響いた。
ああ。新品の絹女が、旅行初日におなくなりに……。
ショックはかなり大きい。肩を落とす私を励ますように、いいえ、自らの過ちを軽くするために、Yがホテルのドライヤーを使いながら元気に言う。「これ、すごい風量だよ、いいかんじだよ!」
Yの気遣いに応えなければ、とがんばって力なく微笑んだ次の瞬間、ドライヤーの音が止まった。
Yがカチカチとスイッチをいじるが動かない。ホテルのドライヤーもおなくなりになったようだ。
「ミダス王は手にふれるものすべてを黄金に変えるけど、あなたは手にふれるものすべてを壊すんだね」
再びフロントに電話をして、ドライヤーが故障している旨を伝え、代わりのものを持ってきてもらう。
それは黒くてとても重たいドライヤーだった。
「ナイナイしちゃおう」
と私は言った。
これは幼児言葉になるのだろうか、娘が小さいころ使っていたのだろうか。記憶が定かではないが、Yとの間でよく使う言葉なのだった。
失敗した買い物をしたときなどに、すごくもったいないことをしたと後悔したくないときなどによく使う言葉。「なかったことにしてしまおう。そのようなことは人生に起きなかったということにしてしまおう。人間には忘却というすぐれた能力があるから」という意味をもつ言葉……。
「ナイナイ」と言いながら私はドライヤーをゴミ箱につっこんだ。(修理屋さんの優しい男性が「ゴミ箱に入れておけば処分しますよ」と言ってくれたから。なのにその夜部屋に戻るとゴミ箱から出されて机の上にきれいに置かれていた。忘れたかったのに。ナイナイしちゃいたかったのに)。
◾️プラダカフェで朝食を
気を取り直して、Yがとても楽しみにしていた、通称「プラダカフェ」に向かう。
プラダカフェで朝食を。
なんてきらきらしているんだ。Yがいなかったらぜったいに我が人生に起こらないだろうことは数多くあるが、これもそのひとつ。
Yいわく、「すべてはインスピレーションを求めて」。
そうよね、どんなことも、ふたりともそれぞれのスタイルでインスパイアされるはず。
プラダ PRADA。創立者のマリオ・プラダはミウッチャ・プラダの祖父にあたる。1913年創業。ミラノを象徴するガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世の店舗が第1号店。祖父が創業したミラノの高級皮革製造会社「プラダ」を現在の「プラダ」にしたのがミウッチャだ。
ミウッチャ・プラダのことは、デザイナーの言葉の本『センスを磨く 刺激的で美しい言葉』)を書いたときにけっこう研究した。
知的でエレガントでちょっとパンクで魅力的な人だ。そして業界の人たちからの人望も厚い。
世の中には「成功して悪口を言われる人」と「成功して悪口を言われない人」の2種類がいると考えているが、ミウッチャは後者。
Yが数年前だったか「ミュウミュウ MIU MIU」に興味を示したとき、私は言ったように思う。
「ミュウミュウは、幼少期のミウッチャの愛称なんだよ。ミウッチャが若い人たちに向けて、自分が思うところのいろんなことを伝えたくて作ったセカンドライン。ミウッチャがどんなことを考えて何を伝えたいと思っているか、そっちにも興味をもつといいなあ」
いらぬおせっかいとはこのことである。Yは「かわいいから好きなんだー」とさらりと流したように思う。
まさにミウッチャは「かわいいから好きなんだー」と、ミュウミュウのファンになった女性たちに向けてイベントを企画し、「知性」と「女らしさ」というふたつの武器を手にしましょう、読書や映画鑑賞で知識を蓄えて「自分の声」をもちましょう、と声をかけている。
そんなプラダのカフェ。
通称プラダカフェと呼ばれているが、ほんとうのところはマルケージカフェ。創業200年近い「パスティッチェリア・マルケージ Pasticceria Marchesi 」をプラダが買収した。そしてそのカフェはプラダの1号店の向かいにあるプラダメンズ店の2階にある。
9時ころに着いたので、まだ混んでいなくてすんなり入店。
私はおすすめっぽい朝食を、Yはスイートという名のついた朝食をオーダー。
私のほうは感想が出てこないほどにオーソドックス。落胆といってもよい。そしてYのほうは、見ただけで砂糖が体をかけめぐるような、そんなプレート。
Yは瞳をきらきらさせて「目が覚めるような甘さだー」と言いながらスイーツを食す。私も一口もらったけれど、アルコールとかニコチンとか、そういうのを摂取したときを上回るほどのくらくら感に見舞われた。
この甘さだったら、Yもぜったい甘すぎると思っているはずなのに、テンションを下げないためにマイナスのことを言わない努力はすごいと思う。
そしてふたり旅における私の義務、写真タイムもあった。画角とかね、いろいろ注文があるんです。何度も取り直しを要求されて、がんばる私。
「まったく同じような親子がいる」とYが私の後方に視線を送ったので、そっと振り返ると、母親らしき女性が娘らしき女性の写真を撮ってはチェックされ、取り直しを要求されていた。
その母親らしき女性の背中は丸まっていて元気がなくて、私は彼女に駆け寄って、「わかります、わかりますよ」とハグをしたい欲求にかられたのだった。
◾️ミラノ・ファッションウィークと消しゴムのカス
そしてミラノは「ファッションウィーク」だった。2025年9月23日~9月29日がレディースの2026春夏コレクション。
気づいたのは(Yが)旅行の2日前だった。そのときは「混みそうで嫌だねー」程度の感想だったのだけど、そして確かに混んではいたけれど、あの空気感にふれらたことは貴重な体験だったと思う。
準備中の次の作品と深く関係しているので「しっかり書けよ」という誰かからのお告げかと思うほどに。
アルマーニ、グッチ、ヴェルサーチェ、プラダといったイタリア発ブランドのほかにも各国の有名ブランドの旗艦店が集う街角は、業界の人たち、モデルの人たちで、とんでもなくファッショナブルだった。そして、ショーの準備をする人たち、旗艦店からセレブリティが出てくるのを待ち構えるファンの人たちの熱気。
街中が「ファッショナブルでない者は人にあらず」と叫んでいた。
私は悔やんだ。
今日1日だけでも「これが私のファッションよ」的な、そういう服装で歩きたかった。
歩きやすさではナンバーワン、旅行のときはコレ、と決めているスニーカー以外にも、ああ、あの靴を持ってくればよかった。祐天寺のマンションに置いてきたあの靴で歩きたかった、あのワンピースで歩きたかった…。
そんな私を横目にYは意気揚々と歩いている。
「プラダとかミュウミュウの本店に行くから気合い入れてきたんだ」
そうよね、そう言ってた。それなりの格好をして行くよ、って言ってた。私はふーん、と流していた。それなりのところにはそれなりの服装でね、と常々言っているというのに。自分が残念すぎる。
山本耀司の言葉をいつも胸にいだいていたはずなのに。
「ファッションというのは物書きでさえ書けない、言葉にできないものを形にする最先端の表現だと思っています。だからどんなに知性があってもファッションをばかにしている人は信用できない。たとえ評論家や建築家であってもです。着ている服でその人が本物かどうかわかります」
この言葉をたいせつにしていたはずなのに。自分が残念すぎる。
そしていくつかの旗艦店での待遇は、Yが身につけているものたちのおかげなのだろう、悪くはなかった。
飛行機のなかでの扱いとはまったく違う。そして飛行機のなかで思ったことを、ここでも逆の意味で思った。……人は見た目がすべて。こんなに見た目で判断される。
そして、自分がとても小さいとこんなにも思ったことも、またなかった。体の大きさね。
街中にモデルの人たちが繰り出しているので、私の目の高さに彼女たちのウエストがあるみたいな。同じ人間とは思えないスタイルの人たちがあっちにもこっちにも。
すごいなあ。……ああ、ルッキズム、よくないよ。でもね、そういう事柄が吹っ飛んでしまうほどのかんじだった。
私はYに言った。
「自分が消しゴムのカスみたいに思える。ここまでくると、もはや劣等感さえないね、爽快だね」
人は比較可能な事柄でしか優越感劣等感をいだけない。
消しゴムのカス、とはとっさに出たイメージで自虐を楽しんだわけだが、いま思う。
ただ違う。それだけのことなのだと。
これが、こんなに大きな違いじゃなくても、もっと日常的に自分のなかにあればいいのに。ほかの人たちのなかにもあればいいのに。そうしたなら、きっと、もっと生きやすい。
そんなことを思う。
また、業界の人たちがうようよといる街を1日歩き回りながら、私はファッション業界に身を置く人たちの日々の生活、心情を想像していた。
容易に想像できたのは、ここでもやはり「見た目がすべて」な世界。そして頭に浮かんだのは「競争」という単語。
疲弊するだろう、けれど刺激的なのだろう。
ちょっとなら身を置いてみたい気もするけれど、長期間はいられないだろう。私の精神力ではもたない。
そんな世界で、長い年月闘い続けている人たちのことを想った。これから書こうとしている人のことも想った。そういう意味で、ほんの少しでも、そこに身を置いて、空気感にふれ、想像できたことは、ほんとうによかったと思う。
◾️そしてYが食べすぎた
街中を歩き回って、ドゥオーモ近くのカフェに入ったのは、休みたかったからでも喉が渇いていたからでもなく、トイレのため。ミラノはびっくりするほどにゴミ箱が多く置かれていて、とても便利。ぽいぽいゴミを捨てられる。そしてトイレが少ない。
ドゥオーモ、二十代の半ば、私がYくらいの年齢のときにミラノに来たときは、ドゥオーモの中に入って、ただひたすらに圧倒されたものだった。
世界最大級のゴシック建築を背にビールを飲んで、また街を歩き、スーパーでエナジードリンク「モンスター」を買い、ホテルに一度戻った。
Yは「おなかが空いたー」と言っていたけれど、私はあまり空いていなかったので、もうちょっと待って、と待たせてしまったのがすべての間違いだった。
「美味しいイタリアンが食べたい」とは旅行前からふたりで同意していたので、ホテル近くの評判のよいレストランを探して出かけたのだが、そこでオーダーするとき、Yはすでに飢餓状態になっていたのだった。
考えてみれば、プラダカフェで気絶しそうな甘い朝食を食べたのち、街中を歩きながら焼き栗(トルコ旅行のときもよく食べた)を食しただけ。おなかが空いて当然なのだった。
そして、私たちはおそらく少食。いつもなら、たとえばふたりでイタリアンを食べる場合はピザ一枚にサラダをシェアでも余るくらい。
けれど、楽しみにしていたミラノでのイタリアン。飢餓状態(Yは)でのイタリアン。
「ピザとパスタを頼もう」とYが言う。私も今夜なら食べられそうな気がしてくる。無理なら残せばいい、申し訳ないけれど。
ということでマルゲリータっぽいバジルのピザとペペロンチーノっぽいパスタをオーダー。
ピザはおいしかった。
おいしかったからYが食べすぎた。
しょっぱいパスタと合わせていつもの倍くらい一気に食べていたから心配だった。
やっぱり食べきれないね、とフォークを置いて私はワインを飲みほした。
満腹沈黙ののちYが言った。「ちょっとトイレに行ってくる」
見ると不穏な空気が全身からどよんと放出している。
心配すぎる。
しばらくして戻ったYがなぜかドヤ顔で言う。
「大丈夫、リバースしなかったから」
なにが大丈夫なのか。食べすぎて気持ち悪くなって、真っ青な顔をしながら、リバースしなかったから大丈夫とは。
とにかく早くホテルに帰ろう、と会計を済ませて、ホテルまでの道のりをフラフラ歩きながらYがぽつりと言った。
「26にもなってこれやっちゃうんだ……」
私はすぐに反応した。
「大丈夫だよ、59にもなって、しょっちゅうやってるから、私の場合はアルコール方面中心だが」
「そうだよね」
「そうだよ」
こうして私たちは仲良く互いを慰め合いながらホテルに帰ったのであった。
部屋に着いて、Yがメイクだけを落として気を失うように眠ってしまった。やれやれ、と思いつつ私もやがて気を失った。
ミラノの夜、20時をちょっとまわったばかりの時刻だった。





