ブログ「言葉美術館」

◾️ポルトガル&イタリア旅行記*7日目の最終日から帰国まで

★10/1-2★リスボンでランチ後、空港で「クローズ」宣告、ヒースロー空港でモンスターを買い上海で別れ、羽田に到着するが旅が終わらない

◾️新市街散策ののちアレンテージョの館で肩を落とす

 最終日の朝は7時ころに目覚めた。昨夜何も食べずに寝たので、Yは朝からもりもりパンを食べている。
 私もつられて大きなマフィンを完食。
 この朝食時に「ガロ」のお土産が、残したコロッケとともにゴミ箱に打ち捨てられたわけだ(旅行記6日目参照)。

 旅の最後の朝食を「ホテルの部屋で軽くパン」で済ませることにしたのは、ランチで行きたいレストランがあったから。

 今日はリスボンの新市街を散策しながら旧市街へ行き、私のお目当てのレストランでゆっくりランチしたのち、ホテルに戻ってスーツケースをピックアップして空港へ、という予定。

 パッキングをして、スーツケースをフロントで預けて、10時ちょうどくらいに街に出た。
 とてもよい天気で太陽が燦々と輝いている。
 最終日、がんばります、と宣言をして歩き始める。

木の色は秋めいていた大通り

 

 私たちが泊まっていたホテル・フェニックス・リスボンは新市街のポンバル広場に面していて、そこから旧市街に向かってリベルダーデ大通りがまっすぐに伸びている。
 パリのシャンゼリゼ大通りを参考に作られたというこの道の幅は、シャンゼリゼよりも1.5倍広くて90mもある、とっても広い通りだ。
 この通りにはハイブランドのお店が集まっているので、イタリアでふれてきたそれらのものがリスボンでどのように展開されているか、リサーチを兼ねての散策となった。

 いくつかのお店に入った結果の感想はこれ。
 同じ品物でも、どこでどのように売られているかで、こんなにも違って見える。

 1時間くらいぷらぷらと歩いただろうか。Yがトイレ休憩を求めたので小さなカフェに入った。

 そこで私はポートワインを、Yはラテとレモンケーキのセットをオーダー。セットしかないと思いこんでいたため、持って帰れるものを頼んだわけだがドリンクメニューは別にあったことがのちに判明する。大きなレモンケーキはナプキンで丁寧にくるんで持参しているジップロックに収納。

 お目当てのレストランは12時オープン。それまでここでゆっくり過ごしてお土産屋さんでもまわりましょう。

 一口だけレモンケーキを食べたYが、昨日のポルトの始まりの私の廃人状態に言及してから言った。

「7泊は長すぎたかな。トルコ旅行は5泊だったからね」
「いや、長すぎないよ、詰めこみすぎなんだよ」
「それね。休めばいいんだよね。1日とか半日、ホテルでゆっくり体を休めながら仕事なんかをちょっとするみたいな時間をはさめば、もっと長いのもいけるよね」
「でも、そんなに長く日本を離れてもいられないでしょ」

 そんな会話をして「また行く気になってるってかんじ?」とか探り合って、ポートワインを飲み終えて私たちはカフェを出た。

 お店のしゃきしゃきしたマダムが私の髪を褒めたあと、感触を確かめるように私の左側の髪を、手櫛を通すようにさらりとすいた。これは初めての体験だったので記しておこう。「髪をさわられるなんて、あんまりないよね」とYは驚いていた。

 それからお土産屋さんで「ガロ」のキーホルダーをいくつか買って、そろそろ12時、というころ、楽しみにしていた場所に向かった。

 

館の中庭

 

 「カーザ・ド・アレンテージョ Casa do Alentejyo」。

 アレンテージョとはポルトガルの中南部にある地方の名前。アレンテージョの家、アレンテージョ会館という意味だ。

 その歴史からポルトガルにはイスラム、アフリカ、アジア、ヨーロッパ的なものが混在している。そしてこのアレンテージョの家は、それらが複雑に混ざり合って独特の異国情緒あふれる空間となっている。

 イタリアの作家アントニオ・タブッキを私は須賀敦子を通して知ったが、タブッキがこの館を「不調和の美が宿るところ」と表現したということを『リスボン日和』で知って、強烈に惹かれたのだった。

 不調和の美が宿るところ。アルゼンチンタンゴのようだ。
 だから実際にそこに身をおいて、それを感じたかった。
 さらにこの館の2階にはアレンテージョ地方の郷土料理を出すレストランがあるのだが、その部屋の壁がみごとなアズレージョ(前日のポルト観光で記した私が好きな装飾タイル)なのだった。

 旅の最終日はアズレージョに囲まれたレストランでランチだなんて完璧だわ。
 ということで朝食を軽くホテルの部屋でとったのだ。

 けれど、12時すぎているのにレストランに続くはずの階段は、ここから先は入っちゃダメよ的な物が置かれている。
 嫌な予感がする。スタッフのおじさまにレストランに行きたい旨を伝えると「今日は予約でいっぱいだよ」という答え。

「予約なしでも大丈夫って言ってたよね」とYが言う。「そんな情報を見かけたように思う」と自信のない私。

 食べられないのはいいけど、あのアズレージョ、見られないの? のショック大だったので、落胆を隠すことなく佇んでいた。するとおじさまは言った。「見るだけならいいよ、どうぞ」。そして立ち入り禁止グッズをどかしてくれた。

 ありがとう。お優しいのですね。
 2階にあがり、レストランの部屋を覗く。そこは、完璧なテーブルセッティングがなされた、そして美しいアズレージョがしずかにきらめいている、すばらしい部屋だった。そしておそらく、見学はほんとうはだめなのだろう。私たちをチラ見するスタッフの男性たちの視線が、お咎めモード。あきらめて階下に降りた。

 残念だね、と言うYに、ごめんね、と言った。ポルトガル担当試験落第だわね。

すべては私のせい。ほんとうに素晴らしい空間だった

すべては私のせい その2

 

 

 アレンテージョの館の向かいのあるレストランでランチとなった。

 アレンテージョ地方のスープを、せめてもの、という想いでオーダーした。とても優しい味の、大きなパンがひたひたと浮かんでいる、風邪のあとに食べたらよさそうな、そんなスープだった。

 それにチーズとパスタを加えたランチをとってホテルに戻った。

ランチには早かったのか、お客さんは私たちだけだった

せめてものアレンテージョ料理

 

 

 フロントでスーツケースを受け取って、それぞれのスーツケースからそれぞれの着替えを取り出し、交代でトイレに行き、機内用ファッションに着替えた。

 着替えたYが言う。
「これならなめられないかな」

 Yは往路飛行機のなかで子ども扱いされたことから、機内用ファッションにと、ミラノでイタリア発ブランドのセットアップを購入していたのだ。それを着てテンションが上がっている。

 とても似合っていて、ジャージのセットアップもすてき。ゴージャスな子ども、ってかんじ。

 そしてUberを手配して、私たちはリスボン、ウンベルト・デルガード空港に、2時間ちょっと前に到着したのだった。

 リスボン(ウンベルト・デルガード)→ロンドン(ヒースロー)→上海(浦島プードン)→東京(羽田)。

 この2度のトランジットは、料金が決め手となった中国東方航空ビジネスクラスでの移動と、私がポルトガルに行きたがったため。イタリアからならトランジットは往路と同じ1度で済んだ。

ホテル玄関前、Uberを待つ間のひととき

 

◾️そして彼女は「クローズ」と言った

 この時間なら余裕だよね、と余裕をもって空港に到着したはずの私たちは、リスボンの空港でまず自動チェックインを試みた。
 さくっと済むと思っていたけれど、これがうまくいかない。係の人に尋ねると、あっち側に行って、と別の場所を指示されたのでそこに行くと有人カウンターが並んでいた。奥がビジネスクラス専用のカウンターだった。

 そこには、わりと若いかんじの女性が、荷物を送るレーンに片足をどん、とのせて熱心に携帯でチャットをしていた。
 声をかけてもしらんぷり。もう一度声をかけると、めんどくさそうに顔をあげて、それから携帯を置いた。

 Yが自動チェックインできなかった旨を伝え、そのとき発行された紙切れを渡す。そこには私たちの行先、ルートが記されていた。
 眉をしかめながら、その紙切れに目を通して、彼女はとても不機嫌そうに手続きをしていた。私たちも負けずに不貞腐れモードで対応。
 搭乗券を渡しながら彼女が言った。

「羽田までの飛行機、チェックインが済んでるならいいけどさ、してないならイギリスのビザがいるんだよ」

 ビザという言葉に震撼。「トランジットだから大丈夫だと思ってた」と目をぱちくりさせながらYが言う。

 私は急いでネット検索。たしかにトランジットでもビザは必要、みたいな記事が出てくるが、不要という記事もあり。
 Yは「これからオートチェックインすれば大丈夫だと思う」と私に言ってから、スーツケースを指差して係の女性に尋ねた。
「このバッグたちですが……」と、ぐいっと身を乗り出している。

「最終目的地は羽田なんですね?」
 そうだよ(Yes)
「最終目的地は羽田なんですね?」
 そうだってば(Yes)
「最終目的地は羽田なんですね?」
 しつこいな(Yes)

 このようなやりとりがあって、係の女性がスーツケースのタグを叩くようにしてHanedaという文字を見せたのでYは納得し、搭乗券を受け取ってカウンターをあとにした。2度のトランジット、そして信用度ゼロの係の女性、確認したくなるのも当然だ。
「スーツケースはちゃんと羽田まで運ばれるようで安心した」とYは言った。私もよかったよかった、とうなずいた。

 ただ、搭乗券を渡すときに彼女が言った「早くパスポートチェックに向かった方がいいよ」を、もっと深刻にとらえるべきだった。搭乗開始時刻まで、まだ1時間以上あった。時間には余裕があると思いこんでいたので、気にしなかった。

「もうやだ、なんであんな対応されなきゃならないんだろう」から始まって、悪口大会を繰り広げてしまった。

 それからパスポートチェックを経て、手荷物検査までは、ちょっと並んだけれど、無難に済んだ。

 その間にYが航空会社のサイトにアクセスしてオートチェックインを完了。「搭乗券が出せたから大丈夫だと思う」と言った。

 のちに調べて判明したことだが、大丈夫なのだった。細かい条件はあるが、外に出ない場合は基本的に不要だった。ETA(電子渡航認証)も乗り継ぎの場合は、私たちが行った時期は不要とされていた。

 さて。手荷物検査も無事終わってよかったよかった。
 検査を済んだその先に免税ショッピングエリアが広がっていた。
 何か買おうか? お土産はもう買ったからいいんじゃない? とりあえず搭乗ゲートまで行こうよ。
 ここでお土産を買って時間をロスしなくてほんとうによかった。
 私たちは搭乗ゲートを目指してスタスタと歩いた。しばらく歩いたところに、何やら長蛇の列があらわれた。なにこれ。
「あ、出国審査だ」とYが言った。
  免税店とかがあったから、うっかりしてしまった。油断してしまった。
 
 たくさんの人々がもぞもぞしている光景に不安がよぎった。

 出国審査の窓口には2種類あって、自動化ゲート(パスポートのスキャンと顔認証でOK)と、有人ゲート。自動化ゲートが使える国の国旗が10数個、日本の国旗もあったので、自動化ゲートのほうに並んだ。少し混んでいるけど、心配するほどではないみたい。よかった。
 順番が来て、パスポートのスキャンを試みる。けれどエラーが出てしまう。隣でYもエラーが出ているようだ。係員のおじさまを呼ぶと、のんびりとした調子でYのパスポートを手に取り、ぐりぐりと押しつけたり、左右にこするようにしてスキャンを試みるがエラー。

「だめだこりゃ。あっちに並んで」とおじさまは言った。

 私たちは「あっち」を見た。そこは、2種類のうちのもうひとつの場所、自動化ゲートに対応していない「その他」の国の人たちの場だった。そして真っ黒に見えた。つまりものすごい列だったのだ。

 ちょっと心配になってきた。搭乗時刻がせまってきている。急いで列に並ぶ。
「ポルトガル……だめだね」
 Yが言う。昨夜も「びみょうだね」と言っていたが、IT技術最先端の中国が好きだったり、ファッション最先端のイタリアやフランスが好きだったりするY視線で見ると、そうなってしまうのだろう。

 しかしながらこの行列は長い。
 ……間に合うかな。だいじょうぶ、まだ搭乗時刻になっていないもん。なんとかなるよね。そうだよ、だって出発時刻は16:10、搭乗時刻は15:20、そもそも搭乗時刻がなんでこんなに早いんだ。ほぼ1時間前に搭乗って……

 そんな会話をしながら、よちよちと進む。

 途中、「すみません、急いでいるんです」と言いながら、列の前に出ようとしていた若き男性がいた。彼は私たちをふくめ何人かは抜かせたけれど、きりっとしたマダムっぽい女性のところで引っかかってしまった。マダムは男性に「あなた、どの飛行機に乗るの?」と尋ね、男性が搭乗券を見せると「私と同じ飛行機よ」とぴしゃり。強い。男性は焦りを隠せないまま、じりじりとした様子でマダムの後ろに並んでいた。

「あの人はきっとぎりぎりなんだね、たいへんだね」と私たちは囁きあった。たいへんなのはあなたたちです、と教えてあげたい。

 搭乗時刻の15:20になったのはそのころだった。

 ……だいじょうぶかな、だいじょうぶだよ、あと少しだよ、わりと早く進んでいるよ、そうだね……

 じりじりとさらに10分くらいが経過したころ私たちの順番が来た。

 窓口は4つくらいあった。列の先頭にいる人が、空いた窓口に行くわけだが、みんながみんな焦っているから、めちゃくちゃ動きが早い。さささ、と窓口へ駆け寄って行く。爽快なくらいだった。

 私たちも彼らにならって、さささと窓口へ。無事に出国審査を終えて、搭乗口に急ぐ。早足で。ちょっと駆け足で。

 目的のゲート番号が見えてきた。けれど人の姿がない。乗客の姿はいずこへ。

 不審に思いながら私たちはカウンターの女性に搭乗券を見せた。ぺらぺらのほうのを。するとその女性は言った。

「あ、これもう無理。クローズしたので」

 え。

 固まる私たち。

 係の女性は、Yのペラペラの搭乗券にすばやく、大きく書いた。
「close」と。
 それからその単語の下にびゅんびゅんと2重下線を引いたのだった。強調したいときに引かれる線だ。
 そして続けた。「だからね、あなたたちはポルトガル航空に連絡しなければならないわけ」。

 クローズって、搭乗はもうおしまいって、飛行機に乗れないということ? これからの2回のトランジットもだめになって、それで私たちはどうなるの……

 ぺらぺらの搭乗券はカウンターにあり、係の女性に落書きされたので、しっかりした紙のほうの搭乗券を取り出してYは彼女にうったえる。

 現在15:40、そして出発時刻は16:10、まだ時間があります、と。

 とそのとき、係の女性の眉がぴくりと動いたように見えた。

 ビジネスクラスの搭乗券は色が違っていたのか、それともプレミアム(つまりビジネスクラス)の文字が目に入ったのか、どちらかわからないが、彼女はさらりと言った。「なんとかしましょう」。そして何箇所かに電話をかけた。何度か「プレミアム」という音が聞こえた。

 電話を終えると彼女は言った。
「そこの階段を降りて、ただそこで待ってるように。どこにも行かないように。動かないように。どーんと・むーぶっ」

 よかった。乗れるんだ。動いちゃいけないんだ。
 私たちはお礼を言って、階段をたたた、と降りた。

 ほんとうによかった。
 この旅行中、この瞬間ほどビジネスクラスに感謝したことはない。

 階下に降りると、そこは小さなスペースで、なかなか誰も来なくて不安になったけれど、どーんと・むーぶっと言われたので、そのまま待つこと5分くらいだろうか。さきほどの女性とは別の女性がやってきて、カードキーを使って外へのドアを開いた。

 

どーんとむーぶタイム

 

 やがて2車両つながりの巨大な空港バスがやってきた。

 私たちのためだけに。
 たいへん申し訳ない。

 反省の気持ちからだろうか、なぜか座席に座ることなく、ポールにつかまって立ったまま、バスに揺られた。バスは広大な駐機場をどこまでも進む。

 遠いところに飛行機がいるんだね。こりゃゲート閉まるわけだわ。申し訳なかったね。でも時間はあったんだよ、ちゃんと余裕をもって到着したはず。いや、混雑を想定してあと1時間は早く来ないといけなかった。そうかもね、3時間前じゃないとだめなんだね、教訓としよう……

 そんなやりとりののち、Yは言った。

「それにしても、クローズ、って2重線ひかれたときは、終わった、と思ったよ。すべての乗り継ぎがダメになる、でもポルトガルだけはやめてくれ、せめてヒースロー空港まで運んでくれ、って思ったよ」

 ポルトガルに失礼です。

 こんなふうに遅れたことが、30年くらい前にあった。ひとりで旅をしていて、ヒースロー空港で、はるか彼方のゲートまでひたすらに走った。あのころはヒールの靴を履いて旅行などをしていたから、かつかつ音が響いていた。そしてもちろんエコノミーで、私は最後に近い「遅刻してきた乗客」で、みんなの冷たい視線を浴びながら席を探したものだった……

 さて。私たちが乗るらしい飛行機が見えてきた。まだスーツケースの積みこみ作業をしている。

「だいじょうぶそうだね」と私は言った。「出発時刻までまだ時間があるし、堂々と入って行きましょう。係の人やバスの運転手さんの手は煩わせてしまって申し訳なかったけれど飛行機を遅らせたわけじゃないからね。申し訳ない申し訳ない、って態度をとらないように。毅然とした態度でね」

 Yは言った。
「それ、謎すぎる」

 がんばって毅然と機内に入れば、まだぜんぜん余裕な雰囲気で、実際、私たちのあとも何人かの乗客が乗りこんできたので、責任を逃れられて安心した。

 機内食もおいしく、ワインもおいしく、快適なシートで2時間半はあっという間。

 

◾️ロンドン、ヒースロー空港のモンスターのゆくえ

 ヒースロー空港に到着。

 ターミナル3からターミナル4に移動するため、たくさん歩いて、エレベーターに乗って、エスカレータに乗って、ターミナル4行きの電車を待った。なかなか来なくて、私は羽田空港をとても遠くに感じた。

ターミナル移動の電車内で

 

 無事にターミナル4に到着し、モバイルチェックイン済みだったので、そちらに向かうと係の男性が、こっちはだめ、あっち、と指差した方向は有人カウンターだった。

 ここでも係の女性はチャットに夢中。声をかけてちょっと経過してから、さて仕事でもするか、という声が聞こえてきそうな振る舞いで、よいしょ、と私たちに向き合った。

「荷物はいくつ?」と聞いてくる。

 トランジットで、荷物は羽田まで行くことになっている旨を伝える。

 すると隣の同僚とひそひそ。荷物、ちゃんと届いてるかな……どうだろ……。

 それから係の女性は搭乗券を印刷した。そしてYが見せたモバイルチェックイン情報と照合した瞬間、「ビジネスクラス!」と驚いたように叫んだ。そして隣の同僚に「ビジネス用の用紙ちょうだい」と言って手渡してもらって、そちらに印刷をしなおして、最初に印刷したエコノミークラスのものをびりびりっと破いて見せたのだった。

 ひとは見かけがすべて。こんなに見た目で判断される。ビジネスクラス用のカウンターだというのに、こんなに見た目で判断される。

 カウンターの女性はそこから突然フレンドリーになった。にっこりと「パスポートを見せてください」と言う彼女にそれを差し出すと、眺めてから、同じ苗字だったからだろう「あなたたち親子なのね?うふふ」 と、またにっこり。

 思えば私たちの関係性についてふれたのは、この旅行中、この人だけだったのではないだろうか。

 トルコ旅行のときは「アー・ユー・シスターズ?」攻撃に合っていたというのに。国が違うからか、それともYの金髪効果か。

 トランジット手続きを無事に終えて、搭乗まで30分ちょっと時間があったのでお土産を買うことにした。
 ポルトガルとイタリアを旅してイギリス、ヒースロー空港のお土産ってどうなのかとは思うが、しかたない。

「オフィスメンバーが1番喜ぶのはやっぱりモンスターだよね」とYは日本では見たことがないデザインのモンスターを5つ購入。日本よりサイズが大きかったと記憶している。
 そしてイギリスはユーロではなくポンド。日本円に換算するとひどく高額なモンスターだった。いまレシートが見つからないのでわからないけど、Yいわく「1本700円とか800円とかそのくらいだったよね」。盛ってる可能性はある。

 とにかくそれを5つ購入したのだった。

 そして飛行機に乗りこんだ。上海までおよそ12時間。中国東方航空、フルフラットの座席は快適で、食事もおいしく、ゴージャスな機内ウエアを着ていてもあいかわらずの子ども扱いをされるYは、往路で学んでいたので自ら果敢に「チーズケーキ、チーズケーキ」と主張、デザートを確保して喜んだりしていた。

 8時間はたっぷり眠ったと思う。機内はとても暑かったので半袖で過ごした。

 上海、ブードン航空に着陸したのは上海時間の16時ちょっと前。

「上海は来る時にトランジットしてるから余裕だよね」とYが言った。

「うんうん」と私はうなずいた。

「え。ってことはさ」とYが言った。「保安検査があるってことじゃない?」

 たしかにそうだった。来る時にトランジットということで、なにかを勘違いしていた私たちは、新品の水を没収されたのだった。あの記憶が鮮やかに蘇った。

 私たちは眺めた。
 Yが肩から下げている「WHSmith」が白地で印字されている鮮やかなブルーのショッピングバッグを。ヒースロー空港で購入したお土産たちが入っている美しい色のバッグを。

 液体があった。高額のモンスターが5本。

 なんておバカなのー。どっちか気づこうよー。
 膝から力が抜けてゆく。

 だめかな。だめだよね。奇跡的にモンスターはOKとか。あったらすごいよね。諦めきれないよね。そうだね。ダメだよ、ってはっきり言われてからナイナイしよう。

 証拠の写真を撮らなくちゃ。ということで東京で仕事を頑張っているオフィスメンバーへの証拠を、「きみたちへの気持ちはあった。ほら、ちゃんとモンスターを買っている、でもこれから没収、泣」という写真を撮ってから保安検査に向かった。

 

証拠写真Y

 

 保安検査の列に仁王立ちしている係の男性に「モンスターは?」と魅力的な女性デザインのモンスターを選んで見せてみるが、すかさず「だめです」。

 ですよね。

 でもいままで買ったモンスターのなかでもっとも高額なモンスターを捨てるなんて、もったいない。

 せめて1本はここで飲もうよ。そうしよう。
 私は日常的にモンスターを飲んでいるけれど、Yはカフェインに過敏でちょっとの量でも「夜眠れなくなる」と騒ぐ。
 でもここは「もったいない」が勝ったようだ。
 目がばきばきになるー、と言いながら、それでもふたりでビッグサイズのモンスターを、片手を腰に当てるポーズをとって、エナジーチャージっぽくふるまいながら、1本飲みほしたのだった。それから「ナイナイ」と言い合いながら4本のモンスターを泣く泣く捨てたのだった。

 そして保安検査。上海・プードン(浦島)国際空港は厳しかった。

 こんなに無害そうな私のバッグが引っかかった。

 中を見せて。と言われた瞬間、没収ね、と思った。

 私はリスボンの最終日、スモーカーのお友だちのために「ガロ」デザインのライターを3つ購入していた。ほんとに小さな、サイズで言えば、日本のコンビニで見かけるライターの半分くらいのを。

 スーツケースに入れられないことはわかっていたけれど、ポルトガル航空は手荷物のなかに1人1個という条件で入れることが許されていた。ということで、こんなにちっちゃいから1個分にしてもらおう、だめだったらYに1個入れてもらって、あと1個はあきらめよう、と思っていた。
 ところがポルトガル航空のを調べて安心して、中国東方航空の手荷物条件は調べなかった。かんぜんに抜けている。

 そんなでも、リスボンの空港でも、ヒースロー空港でも、何も言われることなく通過していたのだった。

 けれどここで没収。ナイナイです。

「やっぱり中国は厳しくてすごいよ、安心して乗れるってかんじがする」と中国推しのYは感心している。

 私はライター持ちこみなんていう、くだらないことにチャレンジした自分を完全にばかだと思っている。

 機内に入る通路のところに、10人くらいだったか、小学生くらいの、ほんとの「子ども」たちがビジネスクラスの搭乗券を手にしてわいわい並んでいた。

「中国、すごいわ」とYがまた言った。経済力のことを言っている。

「この状況なら大人扱いされるかもね」と私は言った。

 それから3時間後、ようやく羽田に着いた。

 

◾️帰国。しかし旅は終わらず

 羽田には東京でオフィスを守っているK君が車で迎えに来てくれていた。すでに着いているという。
 ありがたいね。待たせないように早く出ようね。ビジネスクラスだから、荷物、早く出てくるはずだよね。

 そして私たちはレーンを見守った。スーツケースがころんころん落ちては流れ、ピックアップされてゆく。

 なかなか出てこない。

「どうする? ロストバゲージとかになってたら」
「不安だよね、あのリスボンの空港の女の人とかさ」
「ヒースロー空港でもスーツケースのこと、こそこそ話していたよね」
「お願いだからミントグリーンのスーツケースだけは出てきてくれ」
「だよねー。戦利品が詰まってるもんね。私のは2人分の洗濯物だけだもんね」
「そうだよそうだよ。赤いのはいいから、早くミントグリーン出てきてくれー」

 半分くらいが流れたころだろうか、念願のミントグリーンのちょっと膨れたLサイズのスーツケースが姿をあらわした。
「りんごちゃん」の元気な顔も見えた(スーツケースに貼っている)。

 嬉々としてYがピックアップ。
 よかったよかった、すぐに私の方、赤いスーツケースも出てくることでしょう。

 まあ、最悪これがあればね。そうね、私のほうは洗濯物だけだからね。

 ほんとうに気軽に楽しんでいた会話だった。世の中には口に出したら危険なことというのがあるのです。

 安心して待っていたのだが、気づけば終わっていた。みんないなくなっている。
 あれ?
 係の女性の人に尋ねる。彼女は数字が手書きで書かれた紙をもっていて、それと私のチケットを照らし合わせて、ロストバゲージを告げたのだった。

 

 いったい何枚の書類を書いたことだろう。
 途中で係の女性の人が「バッグの特徴として、色とサイズ以外に何かありますか?」と尋ねた。私のスーツケースにも「りんごちゃん」のシールを貼っていた。小さいのを2つ。

「おかっぱの女の子のシールが2つ貼ってあります」

 それはとても参考になります、と係の女性は言い、書類にきれいな字で「おかっぱの女の子のシールが2つ」と書いていた。
 なんだかその文字がせつなかった。りんごちゃんごめんね、私のは最悪なくてもいい、とか言っちゃって。

 書類を書き終えて、係員の女性に、たいていはどのくらいで届くものなのかと尋ねた。彼女は言った。
「上海にあると思われていて、おそらく今夜のこのあとの便か、翌朝だと思うので、明日か明後日には……はっきりとは申し上げられないのですけど……」

 あ、そうなんだ。わりとすぐに届くのね、と気が楽になった。

 Yは「スーツケースを無料で配達してもらうと思えばね」と言った。

 それからすっごく待たせてしまったことをK君に詫びて、快適なドライブののち、無事に我が家に到着。夜の11時をまわっていた。
 まずは手洗いを、と洗面所に入ると、ダークレッドの大きな「モンスター」(ドライヤー)の姿が目に入った。ただいま、と言った。絹女に浮気してごめんね(旅行記初日参照)。

 ただいま、と言ったものの、スーツケースが戻ってくるまで旅が終わった気がしない。

 翌日10/3金曜日。

 スーツケースは今日届くのかな、連絡なしで直接届くのかな、旅行の翌日に洗濯しなくていいって気楽だな。
 なんて思いながら、私はこの旅行記を書き始めた。次の仕事にすぐにでもとりかかる必要があったが、まずはこれを書きたかった。1日で1日のことを書こう。そうすれば1週間で終わるはず。
 1日のことを書くのに、まる1日かかる。朝から夜まで缶詰状態。書くのが遅すぎるのか。

 さて。
 午後5時過ぎに、羽田空港の担当者からメールが届いた。
 そこには「お鞄の捜索状況ですが、未だ発見に至っておりません」という言葉とともに「スーツケースの写真など、詳しい情報はないでしょうか」とあったので、すぐさま写真を送った。
 メールの最後にあった一文が気になった。
「お鞄のお色味の確認ですが、ピンクではなく赤でお間違いないでしょうか」
 ということはピンクのスーツケースは見つかったんだ。いいなあ、ピンクのスーツケースの人。 

 すぐに届くだろう、と思っていたけれど、嫌なかんじがし始めた。「未だ発見に至っておりません」という言葉が不吉だった。ということは上海のプードン空港になかったということだろうか。ロンドンのヒースローか。それともリスボンの空港か。

 およそ3時間後、夜8時半に返信があった。「お鞄のお写真、大変参考になります」に続けて次のようにあった。
「捜索し、状況に動きがありましたらまたご連絡させていただきます」申し訳ありません、と。

 状況に動きがあるまで連絡はないんだ……。
 いったいどこにあるのだろう。本格的に心配になってきた。なのでネットでロストバゲージについて検索をしてしまった。

「ロストバゲージ(預け入れ荷物の紛失)の発生率は0.76、1%未満です。完全に紛失する確率は、ロストバゲージの全体の5%程度と非常に低いです。荷物が完全に紛失するのではなく、遅れて届く「ディレイバゲージ」がほとんどで、そのうち95%は後から手元に戻ってきます」とAIは言う。

 発生率1%未満、ってけっこう多いんだ。完全紛失は5%程度、ってけっこう多いんだ。

 仕事から帰ってきたYと「失われたスーツケースをめぐる言葉たち」が交わされる。

「もしかしたら戻ってこないかも。ようすが不穏すぎる」
「未だ発見に至っておりません、ってこわいよね」
「小さいポーチに現金を入れたままスーツケースに入れてしまったことも思い出したりしてる」
「えー。ショックだね。私も困るよー。洗濯物だけだからいーや、なんて言ったけど、その洗濯物のなかには1軍の服がいっぱいある」
「冗談でも口に出しちゃだめだったね。ところでメイク用品かしてね。ほとんどスーツケースのなかだから。あー不便すぎる」
「思い出したくないけど、リファのヘアアイロンも入ってるよね。あれもなくなったらショックだよね」
「けっこうお宝があるじゃない。洗濯物だけだなんて、認識が甘かったね」

 翌日10/4土曜日、帰国して2日目の夜。今日いちにち空港からは何の連絡もなかった。

 旅行記の2日目を書き終えて、明日もう一度チェックしてから投稿することにして、その夜はお友達と食事にでかけ、スーツケースのことを話し、なんだか戻ってこない気がするのよね、とお得意のネガティヴモードを全開にしていた。

 リスボンの空港、スーツケースを預けたカウンターで、レーンに片足を乗せて、ビザ情報で私たちを震撼させた、あのかんじの悪い女性が、レーンに乗せた片足で、私のスーツケースをうっかり蹴ってレーンから落とすようすがありありと想像できた。いまごろあのあたりの暗い隅っこに転がっているのではないか。発見した人がこれはなかったことにしよう、ってナイナイしちゃっているのではないか。

 Yはリスボンはないよ、と言っていた。ちゃんと最終目的地を確認したしレーンに乗っていくのを見たし。ヒースローかなー。ポルトガル航空から中国東方航空への乗り継ぎのときがあやしい。と中国推しゆえポルトガル航空を疑っていた。

 翌朝10/5日曜日、帰国して3日目の朝、メールをチェックしたけれど、空港からの連絡はない。
 もう戻ってこなかったらすべてをナイナイしてしまおう。
 メイクに必要なあれこれとかヘアアイロンとか、必要なものはすべて買い直せばいい。それもすっきりするんじゃない? 執着しないことが肝要よ。と、私としてはずいぶんポジティヴモードで旅行記の続きを書き始めた。

 電話が鳴ったのは午後のちょうどおやつタイム。3時だった。羽田空港からだった。私のスーツケースが見つかったのだ。ヒースロー空港にあったという。ポルトガル航空から中国東方航空への乗り継ぎ時にうまく積めなかったとかで、ロンドンのヒースロー空港にりんごちゃんのシールが貼られた、お宝がたくさんつまった私のスーツケースはひとり孤独に取り残されていたのだ。

「あと数時間後に羽田空港に到着する予定なので今夜19:00-22:00の間、ご在宅ならお届けにあがります」って、素早い「お届け」に飛び上がるようになる。嬉しい!
 在宅しています、お待ちしています、すごく嬉しいです、すごくほっとしています、ほんとうにありがとうございます。
 しつこいくらいに感謝を伝えた。
 電話の向こうは女性の声で、最初はなんというか、しずんだトーンで、きっと大変な仕事なのだろう、とこちらが心配するほどだったのに、最後はちょっと声のトーンが明るくなっていたように思うのは私の気のせいだろうか。
 とにかくよかったよかった。Yをはじめ、心配をかけてしまっていた各方面に連絡を入れた。 

 そして夜の8時過ぎ、玄関のチャイムが鳴り、赤いスーツケースとの再会を果たした。
 届けてくれた空港のさわやかな男性に、ほんとうにありがとうございます、と伝えるとさわやかに「見つかってよかったです」と笑った。

 こうして私とYのポルトガル&イタリア旅行が終わった。

 

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