◆魅力があるか退屈か
2016/06/21
魅力ってなんだろう、なんてことを考えていたらオスカー・ワイルドの言葉を思い出した。
「人間を善と悪とに分けるなんて馬鹿げている。人間は魅力があるか退屈かなのです」
悪行をした、善行をした、悪いひと善いひと、そういうことではない、ということだ。
善悪の基準というものは地域や時代によって変化するから信用できないという理由で私は善悪でものを語るひとが苦手。自分のことを善人っぽく言うひとのそばにはいたくないし、悪いひとと言われてもぜんぜん平気だし、善いひとと言われてもぜんぜん嬉しくない。でも退屈なひととは思われたくない。なんだかすごく嫌だ。
ここで考える。魅力があるか退屈か。それはいったい誰が決めるのだろう。
ここのところ、勘違いしがちなのではないか、と思う。一般的に魅力がある、退屈だ、なんていうのはあてにならない、というか、たぶんありえない。
あるひとにとって、あるひとは魅力的か退屈か。それだけだ。
なので、これをまた別の視線で眺めれば、自分はいったい誰に魅力的だと思われたいのか、退屈だと思われたくないのか。ここが肝要だということになる。
そんなふうに考えてみると、自分が大切にしている世界が、すこしはっきりと見えてくるように思える。