◆文化的サバイバル
2020/03/12
サラエボの旅の番組を観る機会があった。
2013年に放送された「街は毎日が銃撃戦」というタイトルで旅人は作家の角田光代さん。
1992年~1996年まで、街が包囲され3つの民族間で殺し合いが続いた、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。
およそ20年後の街の様子、当時の様子を語る人々が映し出されていて、胸に残った。
強く胸にしみたのは、街が完全に包囲されて食料が不足し、銃撃される危険で通りを歩くときは死を覚悟するという、嘘のような状況のなかで、人々が芸術を愛し続けたという事実。
当時出版された「サラエボ旅行案内」というガイドブック、これは史上初の戦場都市ガイドで、どこから銃撃がなされるかとか生活のことなどが書いてあるのだけれど、そのなかに「文化的サバイバル」という項目がある。そこにはこう書かれている。
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包囲された街は文化でみずからを守り、そして生き延びている。そして個人は、街が包囲される以前からの創造行為を今も続けている。
不可能に近い状況のなかで彼らは映像をつくり本を書き、新聞を発行し、ラジオ番組をつくりカードをデザインし、展覧会や公演を催し、街の再建のための青写真を描き、写真を撮り、祝日を祝い、生活の体裁を保っている。
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サラエボ・フィルハーモニックオーケストラの団員でバイオリニストのジェヴァド・シャバナギッチさんが、戦時下に開いたコンサートは250回。彼は言う。
「サラエボに300万から500万の砲弾が落とされました。信じられない量です。そんな恐ろしい時代に、聴衆はコンサートに来てくれました。今より多くの人がです。その数時間だけ、少なくともコンサートが続く間は人々は幸福であり自分は正常だと感じました。
そのときわかったのです。人はまず心なのだと。
いかなる侵略を受けても人は本を読みコンサートに出かけて行く。アートギャラリーへも危険を顧みずに出かけて行く。
人は第一に精神の生き物であり次に肉体の生き物であるとわかったのです」
私は「文化的サバイバル」、そして「人はまず心なのだ」という部分に、フランクルの「夜と霧」を思った。
収容所を生きぬいたフランクルが、地獄の収容所生活をふりかえって、人間について書いた本、このなかにも、ほとんど同じことが書いてあった。
そして私が感じたこともほとんど同じで、それは「人間の底力」であり、戦時下や収容所ではなくても、生きぬくためには何が必要かといえば、心がいかに潤っているか、これに尽きるのだと、そんなこともあらためて思った。
たいへん! 潤っていない、むしろ乾いている! と気づいたときには、自分で潤いを与える努力をしなければならない。この潤いを自分ではない誰かに要求すると、そのときから今度は別の問題、孤独な不幸が生まれてしまうから要注意。
自分は何をすれば心が潤い、生きている実感を得ることができるのか。
それを確信をもって知っているひとって、どのくらいの割合で存在するのだろう。私はといえば、気づけばまたそれを探していました、そんなことを繰り返しているような気がする。
*絵はワッツの「希望」。私の仕事場にも複製が飾られている。
そして過去記事にもなんども登場している。そのひとつを。