◆人生はペルシャ絨毯
2016/06/21
サマセット・モームの『人間の絆』には、胸に響くたくさんの言葉があった。そのなかのひとつが、「人生はペルシャ絨毯」。
あるとき、悩める主人公が尊敬する詩人に問う。
「人生になんの意味があるのか?」
詩人は言う。
「その答えは、ペルシャ絨毯に秘められている」
それはどういう意味? と当然、主人公は問う。けれど、詩人はその問いに答えることなく(自分で見つけなさい、みたいなかんじ)、何年かして亡くなってしまう。
さらに時が経ち、主人公は同年代の友人があっけなく病死するという出来事に直面する。そして「いったい、人生とは何なんだ、なんの意味があるんだ…」と、考えこみ、突然、詩人の言葉を思い出して、「答え」を見つける。
そのくだり。
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答えは明瞭だ。人生に意味はない――それが答えだったのだ。(略)
絨毯の織匠が精巧な模様を織りあげてゆく際に意図するのは、単に自らの審美眼を満足させるだけであるのと同じように、人もまたみずからの人生を生きればよいのだ。
仮に自分の人生は自分以外の何かによって決められてしまうと考えざるをえないというのであれば、その人生を一つの模様として眺めたらいいのだ。
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こんなふうに考えて、主人公は「幸福になりたい」という願望を捨てればいいのだ、と思いいたる。いままでの人生はすべて「幸福」という尺度で計っていたから悲惨だったのであって、他の尺度でもオッケーとなれば話は変わってくる。
主人公は「勇気」が生まれるのを感じる。
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幸福は苦悩と同じく、大した問題ではない。
幸福も苦悩も、生涯の他の事柄と同じく、彼の人生模様を彩るのに役立つのみだ。
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……そう、人生はペルシャ絨毯。すべては模様の一部。自分だけの絨毯を織りあげればいい。
失敗も苦悩も悲しみも絶望も、小さな幸せや安心や充足感と同じ模様の一部……。
そこに真実あると気づいているのに、そんなふうに思えないときのほうが圧倒的に多いのが私の現実。
でも、ペルシャ絨毯を見かけたときくらいは、人生はペルシャ絨毯、を思い出して、歩き続けるエナジーとすることにしよう。
こんなふうに思えるくらいだから、人生はペルシャ絨毯、これは虚無とは違う。なにかそこには笑顔がもつエナジーと似たものがあるように感じる。