ブログ「言葉美術館」

◆加藤登紀子の「ピアフ物語」

2019/04/15

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 4月7日木曜日の夜は、新宿のロシア料理のお店「スンガリー」で、格別のひとときを過ごした。

 加藤登紀子さんから、食事会へご招待いただくという、嬉しい事件が起こったのは、もちろんピアフのおかげ。
「加藤登紀子コンサート ピアフ物語」
山形からスタートして文化村オーチャードホール、そしてパリ公演。
 食事会へのご招待は、私の『エディット・ピアフという生き方』を読ん でくださって、それで、興味をもっていただけたから。
 私はといえば、
 あなたは加藤登紀子というアーティストの熱心なファンですか?
と問われたら、
 熱心とは言えないかもしれないけれど、長い時間、ずっと追ってきたアーティストです、
と答える。
 私をこの世界、そう、芸術、美の世界にひきいれた恋人、私より17歳年上の人が、加藤登紀子のことをすごく評価していた。僕らのアイドル、って言っていた。獄中結婚したときにはね、相手がうらやましくって、ちきしょーって、思ったもんだよ、って言っていた。
 もう、25年前の話。
 その年上の恋人は、彼なりの、当時の私にはまぶしかった思想をもっていて、その恋人が評価する加藤登紀子って、普通の歌手じゃない、とそのとき私は感じとって、それから私のなかでは、ほかのアーティストとは違う場所に住んでいた、そんなかんじだった。
 大好きな中森明菜の「難破船」も忘れてはいけない。
 軽井沢時代、どうにもこうにも苦しくなって、この「美しい牢獄」を脱出して、なにかにふれなければと思いつめてネットでイベントを探した午後。
 その日の夕刻に高崎か大宮だったか忘れてしまったけれど、とにかく新幹線停車駅で、加藤登紀子コンサートがあることを知り、会場に電話をして当日券があることを確認、新幹線に飛び乗ったこともある。
 そのとき加藤登紀子は「愛の讃歌」を歌った。
 加藤登紀子の歌詞で歌った。「ずっと歌えなかったけれど、そろそろいいよね」と言って歌った。胸にしみいった。
 CD、手もとに残っているのは3枚。
 なかでも「シャントゥーズ ・トキコ ~仏蘭西情歌~」、
 シャンソンだけを集めたアルバムは私に強く影響していて、つまり、「日本語で歌っちゃうシャンソンって、どうも私はなじめない」と思っていたところに、これならいける、とはじめて日本語のシャンソンに聴き惚れた、そういうアルバムだった。
 それは加藤登紀子というひとの言葉の選び方から、そしてあの声、あの歌唱法すべてがそろわないと無理なもの……と、素人だけど言ってしまおう。
 そう、音楽のことはわからないけど、言葉の世界に生きている私にとって、歌詞って、すごく重要で、その歌詞がすごくいいのだから、もうそれだけで充分なところに、あの語りかけるような声があるわけだから。
 ピアフを書いているときにも、もちろん意識はしていたし、原稿、本文中に加藤登紀子についてふれてもいた。いろいろ考えて最終的にはピアフを歌う日本人のことはいっさいふれないことにしたから削ったけれど。
 そのようなかんじだったから、その食事会の日を前にして、やはり胸がときめいたし、一方で不安だった。
 不安というのは、やっぱりこれ。……お会いして、嫌な人だったらショックだなあ、という不安。
 いままでにそういう経験があったから、祈るようなきもちで出かけた。
 そして。
 隣の席の加藤登紀子さんは、威圧感のない存在感をもつひとだった。……あんまりほめると媚びめいていて嫌なのだけれど……、実際、魅力的なひとだった。
 私への気遣い(これがものすごくあたたかい)、そしてピアフへの愛情(熱烈な愛情)。
 彼女くらいの人だったら、いくらでもピアフのことを調べてくれるブレーンはいるだろうに、彼女は自分自身でピアフと向き合わないと納得しないひとだった。
 疑問に思ったところはどこまでも調べ上げて、そしてご自身のものにしてゆく。
 ピアフに関する本を読み、ピアフを知る人に会い、ピアフを聴き……。
 私は彼女の話を聞いて胸うたれていた。
 そして確信した。
 もうすでに強烈に「加藤登紀子のピアフ」は存在している。
 私だって全力であの本を書いた。
 そしてあの本のなかには「私のピアフ」が存在している。
 そう自負しているからこそわかる。偉そうかもしれないけど、本当にそう思う。
 私は、その人にしか表現できないことを表現するアーティストが好きだし、自分もそうでありたいと思っている。 そうでなければ存在意義なんてない。
 「加藤登紀子のピアフ」「加藤登紀子だけのピアフ」。
 いったいどんなピアフがあらわれるのだろう。
 私は、その場に居合わせたい。
 キーワードはきっと「マレーネ・ディートリッヒ」。
 私がいつも加藤登紀子と重ねるディートリッヒ。
 ピアフを愛し愛されたディートリッヒ。
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