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◆私のプチ香水物語

2017/08/10

うっかり人生がすぎていってしまうような気がする今日この頃。ああ……。毎日毎日、次の本のことばかり考えて、気持ちはいつも追い立てられて、時間が足りないなあ、と思いつつも、睡眠をとらないと、まったく冴えないから睡眠をとって、一日が、次の本のことばかり考えてすぎてゆく。

そんななか、お友だちと、このところ「香り」について話をすることが多く、刺激をもらっている。だから、いま香りについて考えていることをここに記しておこう。

私は、以前から、「におい」に敏感で、これはときおり、拷問のようなときをもたらす。なので、電車に乗るときは、つねにアロマオイルで香りをつけたハンカチが欠かせないし、長時間ともなれば、マスクが「におい」という意味から手放せない。

宅配便の人が来たあとは、しばらくそのひとの「におい」が残って気になるし、どこかのオフィスにお邪魔したときなど、思わず息をとめることも、少なくない。

「におい」なんてカッコつきの表現をするのは、「匂い」と「臭い」両方の意味をこめている。

香水をつけない女に未来はない、って言ったのは、ポール・ヴァレリーで、これをシャネルが気に入って使って、有名になった。

シャネル本人ほどに、周囲がそれこそ息をとめたくなるほどにふんだんにつけるのもどうかと思うけれど、それでも、男も女も、ある一定の年齢を超えれば、体臭で勝負するのは難しいと、私は思う。体臭といえば「ガラスの体臭」と言われたことを思い出したりして、しばし思い出のなかへ。

私のお友だちで、その香りが漂うと、ああ、彼女が来た、と思うひとがいる。そのひとはいつも同じ香水をつけていて、そのことがもう彼女の個性となっていて、とても素敵だと思う。

私が一番嫌いなのは柔軟剤の「におい」で、素敵だなーと思う男性から柔軟剤の「におい」が漂ってきたりすると、それは私にとってそのひとの私生活、生活臭となるので、がっくりする。柔軟剤の「におい」は、私のなかのある記憶と結びつき、誰か特定の人に世話をされている、と勝手に思いこんでしまう悪い癖となって、私のなかに沈潜している。いくら非日常的でロマンティックなことを言ったとしても、でもその服は誰に洗ってもらっているのでしょう、なんて考えると、なんだかすべてが説得力に欠けてげんなり。柔軟剤の「におい」は生活の「におい」。だから、日常の生活と切り離された時間をもちたいと願った場合は、香水が必要となる。

アル・パチーノが盲目の退役軍人を演じた『セント・オブ・ウーマン~夢の香り』は、香りが重要なモティーフになっている。このなかのタンゴ・シーンを、私はもう溺愛しているのだけれど、アル・パチーノが、香水や、石鹸の香りを言い当てたときの女性たちの表情も、とても好き。

香水は目に見えないけれど、いいえ、だからこそ、香水を意識的につけている女にとって、その存在を認めてもらえることは、服のブランドを褒められたりヘアスタイルやメイクを褒められるのとは別次元の悦びがある、ということを、もう少し多くのひとたちに知ってほしいと思う。別にそんなことを知らなくても生きてはいけるけれど、より艶やかな人生を望むのならば、必要不可欠だから。

と言いつつも、俺は香水なんかつける男じゃない、となぜか威張るひとを好きになったこともあるから、このあたりの折り合いが、また……いろいろと……。それに、私はけっして体臭が嫌いなわけではない、むしろ好き。というか、すごく好き。というか、ほとんど体臭フェチ。

我が家にある香りに関する本を目につくものだけ、写真に撮ってみた。今日はそのなかの一冊、サガンの本から、香水についての言葉を。

「香水を買うのは、自分自身に、他人に、恋人に、気に入ってもらうためなのである」

って、すっごくシンプル。私みたいにあれこれこねくりまわさなくても、ここに真実がある。

もうひとつの写真は私の歴代の香水。なにか共通点があるかな。調べてみたら面白いかも。いま一番のお気に入りはシャネルのCOCO。ときおり、なつかしのPOISON、日常的にはDUNE。INSOLENCEをまた呼び戻してみようと思う。

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