◆私のアナイス ブログ「言葉美術館」

■母の誕生日■

2017/02/08

20160916

9月14日は母の80歳の誕生日だった。母は30歳で私を産んでいるから計算がしやすい。日曜日にちょっと早い誕生日の食事会をしたから、当日はラインでメッセージ。まだまだいないと困る、元気でいてね、お願いね、という言葉を書きながら、ほんと、お願いね、頼むよ、とつぶやく。

自分が、一応母親というものになって、つくづく思う……って、いままでに、そう、17年間にいったい、何百万回あっただろう。
私は自分の支配的な性質を知っているから、娘を支配しようとすることが怖くて、それだけはしたくない、と避けてきたつもりでも、なんらかの影響は、あったりまえだけど、与えている。ただ、娘のタイプが、なんというか、支配不可能的(少なくとも私はそう感じている)なので、救われている。私を見ていて、だめだこりゃ、と思っているに違いない。そしてそれは正しい。

それで、何が言いたいかというと、そう、自分が母親になって、強く思うことは、母は、幼いときには「とても厳しい母」「とても怖い母」だったけれど、幼い時期を過ぎてみれば、結果的に、非常に私を自由にしておいてくれたということ。

自分は大学を出ていないから子どもには教育を与えたいと考え、私が大学に進んだことを喜び、卒業後、正社員っぽい就職もせずに、あんなことこんなことを試している私に、何も言わなかった。ほんと、ひとことも言わなかったと思う、……過去美化現象だろうか。

高校講師、塾の講師、家庭教師を休みなしでつめこんで、「アートサロン時間旅行」を立ち上げて、今思えば絶対そうなるよな、的生活のなか身体を壊したときは、強引に漢方の先生のところに連れて行ったけれど。

私は、こういう仕事をするようになって、いろんな人に出会って、世の中には、こういう仕事をするには、めちゃくちゃ恵まれている家庭で育った人というのがいるんだ、ってことを知って、ひどく羨んだり落ちこんだりしてきた。いまでも、そういう人に出会うと、いいなー、と思う。「父が坂口安吾をよく知っていたので……」とか「母がサガンの翻訳をしていたので……」「母がアナイス・ニンの友だちだったので……」とか、言ってみたいなー、と思う。

でもね。何かがあれば、きっと何かがないんだと思う。

母は私がはじめて文章を発表した女性誌「フラウ」を3年間、ずっと買っていた。隔週だったから72冊になったかな。ただ買うだけ。感想も、読んだよ、もない。実家に帰ったとき、本棚にあるのを見て私はそれを知る。だから私は、母と、そして父の存在を感じることなく、書けた。

母は、私が婚約者から婚約解消を告げられ、実家に帰り、婚約者から電話があり、話し合いに東京に戻るとき、玄関で言った。「女の価値を下げるんじゃないよ」。

妹に子どもが生まれて、その子をわが子のように可愛がっている私を見て言った。「育て上げれば他人の子」。

エロスがキーワードの小説「軽井沢夫人」を出すとき、「文学作品を書きましたが、読まないでください」と手紙を書いたら、読んだよ、って連絡があり、「こっちは子ども3人産んでるんだよ、驚かないよ、ぜーんぜん気にしない」と言った。

そして40代の半ばで、たぶん、いままでで一番心配させるようなことをしてしまったときにも、私を批判しなかった。

……なんか、すべて過去美化現象だろうか……。

そして今も、新刊が出ると近くの書店にチェックに行き、アマゾンで10冊注文する。

今回のアエラの記事も喜んでくれた、わくわくするね、ってラインでメッセージ。

そしてたぶん、このブログも見ていると思うから、書いておくの。なかなか言えないから。

自分の子どもを信じて、その子を自由にさせておくってことが、子育てのひとつの成功だとすれば、(その子がいまどうであるかは別として)、私は自由に自分の人生を創ってきたから成功です。

と、そのような、親子関係のあれこれを娘と話していたら、彼女は言った。
「影響を与え合っているんだと思うよ。ママもおばあちゃんに影響を与えているんだよ。おばあちゃんのことをそう思うなら、それはママの影響も少しはあるんだと思うよ」。

そっかー、鏡のイメージは恋人関係だけじゃない、どんな人間関係も同じなのかな。

私は40代の半ばのクライシスを少しずつ抜け出して、少しずつ元気になってきています。でも、まだまだだから。まだいないと困るから、お願いね。

写真は新婚旅行に出かけるときの29歳の母。手にもっているハンドバッグは、エナメル皮を張り替えて、私が使っている。一番好きなバッグ。その右はお宮参り、真ん中、私をだっこしているのは、父方の祖母、その右、半分くらいしか映っていないのは50年前の私の顔。

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