■路子サロンのマリリンとピンクの薔薇■
先週の土曜日9月17日は山口路子のミューズサロン、テーマは「マリリン・モンロー」だった。ゲストではなく私がマリリンを語った。
いま取り組んでいる本のためにも、自分のしゃべりを録音しておこうと思った。「語りと歌のコンサート」などではもちろん録音はしているけれど、サロンのような場での録音はとても久しぶりだった。
翌日は毎度の再起不能モード。その次の日に、録音したものを聴いた。そうしたら、またしても再起不能。ショックで。
いったいこれって何……と絶句するくらい、まったく魅力のないしゃべりが展開されていた。内容ではない。内容は、ほぼ、自分が伝えようとしたことが語られていた。けれど、その語り方。魅力のかけらもない。マリリンが好き、が前面に出すぎてしまっている。
私のことが嫌いではない人たち(たぶん)が集まっている場だから許されたかもしれない。でも、私が参加者のひとりとして、マリリンを語るこの日の山口路子を見ていたら、「マリリンが好きなのねー。たくさん言いたいことあるのねー、ほほえましいわねー。でもうるさい」と思ったかもしれない。
しずかに、深く、胸の奥深くに、「大切な何か」が沈潜することはなかったと思う。
それで、つくづく思った。
知識は必要よ。そう、私はマリリンの映画をほとんど観た。日本語で書かれたマリリンの本はほとんど読んだ。一冊の本を自分で書いてもいる。そう、マリリンについて知っていることは少なくはない。
自分だけの視点は必要よ。そして私にはそれがあるはず。
語る対象への愛は必要よ。それなら、たっぷり、マリリへの愛はある。
でも、でもね。
誰かに「それ」を伝えるとなると、その伝え方が、かなり、かなり……、もいっかい、かなりっ、重要なのだ。
どんなふうに話を展開し、どんなふうにメリハリをつけるか、もっとも強調したいことは何なのか、それぞれ、考えてもらいたいところでは、どのくらいの時間をあけるのが良いのか……。
知らないはずはないのに。きちんとした舞台ではすっごく意識して、何度も何度も練習するのに。
ぜんぜんだめじゃん。
顔洗って出なおしてきなっ。
ってムードで言いたい、自分に。
「マリリンのハッピー・バースデイ見て出なおしてきなっ」。
すべてが、ここにあるから。
ああ……。
写真、左は落ちこみ前、サロンの日のピンクの薔薇。棺のマリリンにジョー・ディマジオはピンクの薔薇を捧げたって。
右はサロンから4日後、つまり今日のピンクの薔薇。
美しい。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、ってマリリンが言っているみたい、って乙女チックに言ってみたくもなる。それほど落ちこんだのね。
でも、こういうことを書くのは「え、とってもよかったですよ」って慰めてもらいたいからではないから、サロンにご参加のみなさま、リアクションどうかなさらないでください。
マリリンはケネディ大統領への「ハッピー・バースデイ、ミスター・プレジデント」ののち、言った。
「とても誇らしかった。あれが私の最後の仕事になったとしても、後悔はないわ」
私、そういう仕事をしたい。