◆毛玉とおかゆとメトロの階段と
「孤独とは無縁のとき」の記事を読んでくれたお友達が、母親という存在について、ちょっと思ったことがある、と話をしてくれた。
お友達は私よりも年上の殿方で、さいきん、体の不調が見つかり検査入院をした。一週間後に退院の報告もかねて、両親のもとを訪れた。彼のご両親はずいぶんご高齢だけれど健在。当然、お二人とも、もう若くはない息子の体を心配していた。そして「母は僕のセーターの毛玉をとるんだよね、なんだか情けなかったけど、でも、父はそれをやらないな、と思った」と、かなり些細なことだけど、それが母親という存在について考えたことなのだと、彼は言った。
些細なことなどではない、と思った。なにか強く胸を突かれた。
私がもともと毛玉とりフェチで、いままでいくつもの電動毛玉とりを試してきたし、「毛玉のついたセーター」に異様なほどに反応してしまうから、という理由もあるかもしれないが、もちろんメインの理由はそれではない。
私は彼の母親の心情を勝手に想像して、胸が痛くなり、その胸の痛みは、三十年以上も前の、ある日の母の姿を私に思い出させた。
私は大学一年生。はじめての慣れない一人暮らし、過保護で厳格な両親は私を男子禁制のマンションに入居させた。ある日のこと、その男子禁制のマンションで私は風邪をひいて寝こんでいた。どうにも熱が下がらず、まだ親離れできていない私が実家に電話をかけたのだったか、たまたま実家から電話がかかってきたのだったか、忘れてしまったが、とにかくちょうど日曜日で仕事が休みということもあり、車で両親が私を迎えに来た。
小さなワンルーム、玄関からすぐのところに小さなキッチン、ひとつだけの電気コンロには、お米だけの白いおかゆが小さな鍋に入っていた。母はそれを見て、たしかに涙ぐんだ。その様子を隠したけれど、私はその瞬間を、見た。母は、こっそり自分の気持ちの態勢を整え、それから「こんなのを自分でつくって」と、なぜか私を叱るような調子で言った。
そのときも、それを感じていたけれど、いまなら、わかりすぎるほどによーくわかる。
遠い地で風邪をひいて熱を出して、ひとりで自分のためにおかゆを作る、まだ高校を卒業したばかりの娘が母には不憫だったのだ。
思えば、あのときの母はいまの私より若い。
先日、たまたま東京に出かけてきていた両親と銀座で会った。「鹿乃子」のあんみつを食べて、銀座四丁目の交差点のところのメトロへの入り口で別れた。
手すりをもとめて左右に分かれて階段を注意深くゆっくりと下りてゆくふたりを、私は見送った。
マッチ箱の奥をいつも連想してしまう、メトロの階段。その階段を下りきるか下りきらないか、というところで肩から上が見えなくなる。
別れ際、見送るときも見送られるときも、車でも電車でも姿が見えなくなるまで、かならず私を目で追う母は、けれど、振り返ることなく階段を下りきった。
さすがに階段の途中で振り返るのは危険だからね、と思った瞬間、階段を下りきった母がひょい、と体を直角くらいに折り曲げてこちらを仰ぎ見た。私もとっさにひょいとしゃがんで足もとで手を振った。
それだけの話だけれど、毛玉とおかゆとこの話は同じような匂いがするように思うから書いておこう。
絵はルノワール。「ルノワール夫人の肖像」。『美神 ミューズの恋』で扱った一枚。この絵から私は母にまつわる物語を語った。
私は母の話ばかりだ。理由はある。けれど、そろそろその理由と和解したいとも思っている。