ブログ「言葉美術館」

■私の中心点 「どこか或る家」高橋たか子

2021/09/14

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高橋たか子の自選エッセイ集「どこか或る家」に収録されている『「虚」のむなしさ』から。

「けれども私はといえば、長年、小説を読むのがとても辛かった。
自分と同じものを手さぐりしている小説以外は。
自分が生きていることの根と同じ根をもつ小説以外は。

(略)とにかく、私は、小説を読むのが長年にわたって辛かった。
私の中心点とそれの中心点とが同じでないような小説は」

小説が好きで、読書中は時間が経つのを忘れてしまう、読書好きの人々と自分自身を比較して言っている。

この部分を読んだとき、あ、私と一緒だ! と声をあげそうになった。

私はいつも小説を読むときに、「自分が生きていることの根」、自分の「中心点」と同じものを探している。

一行でもそれが見つけられれば幸運で、たいていは、あたりまえだけれど、落胆に終わる。

今朝まだ暗いうちに駅まで車を走らせた。外気温表示はマイナス8度。どこもかしこもかきーんと凍りついている。

まだ暗い朝の、蛍光灯のついた軽井沢駅が私はとても好きだ。うらさびしく、けれどはっとするほどに綺麗で、泣きたくなるときがある。と、ときにはセンチメンタルにしめてみる。

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