■破棄した原稿 「日記」 高橋たか子■
2016/05/19
「あのいくらかたどたどしい筆致で表現されたもののほうこそ、生身の私の人間観がこもっている
……(略)……
三度目の原稿が受理されて、それが本になった後、私は、あの二つの原稿――(略)を、破棄して燃やしてしまったのだった。
そのとき、胸を裂くような、内面の、肉の音がした。
あのまま活字になるべきだった!
処女作が、永久に失われてしまったのだ。
若い私の、いのちがけで書きつづけたものが――。」
心の調子がどうも弱い状態で、自分がまったく無価値な人間なのだと(かもしれないけど)思い込んでどうにもならない時は胸が苦しい。どきどきしながら本棚の前にたたずんで何冊かの本を抜き取り、そのまま座り込んで、乱暴な読書をする。
そんな状況で、今回は、この部分に、惹かれた。
熱があって、それをとてもよいと思った。好きだと思った。
それにしても、最後に
「なぜそんな残念なことになったか。いうまでもなく、あの最初の時点における日本の文学の狭さのせいだった」
と言い切れる作家は凄い。
私の場合は最初に書いたものは、そりゃあ勢いと熱はあるものの、とてもじゃないけど公表できない。
今よりも、もっともっとレベルが低くて、という意味で。
昨日新宿の紀伊国屋書店を出たところで、若い男の子に声をかけられた。熱心に本を眺めていらして、好きな作家の所にいたのですか?
私は自分の新刊「女神 ミューズ」が平積みになっていて、「軽井沢夫人」も置いてあるなあ、などと、ぼんやりたたずんでいたので、それを見られていたかと思うと大変恥ずかしかった。