■官能の衰退 「窓ぎわのトットちゃん」 黒柳徹子■
2016/05/18
「文字と言葉に頼りすぎた現代の教育は、子どもたちに、自然を心で見、神のささやきを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではないだろうか?
(略)
世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず……の類である」
トットちゃんが通っていた小学校の校長先生の言葉。
あるとき、なんとなしに、娘はトットちゃんに共感するのでは? と思い、「青い鳥文庫」の本を購入(娘のピーターラビットの図書カードで)、案の定というか、予想以上に、彼女は、はまった。
大笑いしたり、あるときは、涙したりしながら読んでいた。寝食を忘れて、というのに近い状態で。
同時期に夫が図書館で同書を借りてきて読んだ。
娘が読み終わった後、私が読み始めた。以前に読んだことはあるけれど、ぼんやりとしか覚えていなかった。
心にしみまくっている。おそらく、昨日の記事、キンゼイ博士がタマバチの研究で気づいたことと、深く関係しているのだろうと思う。
そして、冒頭の文章で、「官能」が、このようにみずみずしく使われているのに、はっと心を突かれた。
イヴ・サンローランから「ヴォリュプテ」という名のルージュが出たから買わなくっちゃ、なんたって「ヴォリュプテ=官能的快楽」だもん。
と、銀座のデパートで、何色か試し、美しい色のルージュを購入して、うれしくて、帰りの新幹線のなかで、写真などを撮る自分が、とつぜんに、ひゅるる、と色褪せてかなしかったりするのですが、このように私は、ゆらゆらとあちらこちらによろめきながら、人生を歩んでゆくのでしょう。