ブログ「言葉美術館」

◆そのとき欲しかったものと限界

2017/04/18

 旅行から帰ってきて、おもいきり身も心も思いきりダウンして、とっちらかって、迷子になって、いったいどっちの方向に進めばいいのかまったくわからなくなって、書棚の前にじーっと立って、選んだ本は『目には見えないけれど大切なもの』、サブタイトルの「あなたの心に安らぎと強さを」に惹かれた。

 私はゆらゆらと揺れて、ざわざわと泡立つような自分の心とたたずまいが嫌だった。自分を鎮めてくれる本を探していた。渡辺和子はシスターであり、マザーテレサと親交のあった人であり、多くの人たちから尊敬されている人だから、きっとそこには、私などには思いもつかないような言葉があるに違いない。そう期待した。私は誰かから厳しい言葉を言って欲しかった。情けない自分をひっぱたいて欲しかった。

 書棚にあるということは一度は読んだ本のはず。けれどページはどこも端が折られていなくて、ラインも引かれていない。さらっと読んだのだろう。そんなに心を打たなかった本なのだな、今回はどうかな、そんなふうに思いつつ読み始めた。

 何度も立ち止まり、ページの端を折った。そこには、私が期待していたものがあった。たくさん、あった。私は自分のダメダメっぷりを、いちいち確認しながら読んだ。

 それから渡辺和子という人に興味をもった。

 昨年の12月30日に89歳で亡くなっていた。1936年の二・二六事件で父、渡辺錠太郎が青年将校に襲撃され、四十三発の銃弾に倒れるのを目の当たりにするという凄絶な経験をもつ。ノートルダム清心学園理事長。カトリック修道女……。すべてが正しい人ってかんじ。けれど彼女は50歳のときに、鬱病になっている。なにか、この事実に、私は本の内容よりも慰められた気がする。ものごとを彼女のように見る人はやはり、そういう病を発症するのだわ、という、「だからしかたない」的な安堵と、それから、そこから立ち直って数々の仕事を成し遂げたことに、少しだけ希望を見ることができた。

「心に一点の曇りもない日など、一生のうちに数えるほどしかないのだ。心の中が何となくモヤモヤしている日の何と多いことだろう。“にもかかわらず”笑顔で生きる強さと優しさを持ちたいと思う。
 私の不機嫌は、立派な“環境破壊”なのだと心に銘じて生きねばなるまい。」

「傷つきたいなどとは夢にも思わない。でも私は、傷つきやすい自分を大切にして生きている。何をいわれても、されても傷つかない自分になったら、もう人間としておしまいのような気がしているからだ。大切なのは、傷つかないことではなくて、傷ついた自分をいかに癒し、その傷から何を学ぶかではないだろうか。」

 渡辺和子73歳のときに出版された本。いろんなところからまとめられた本のようだから、70歳前後の文章なのだろう。


 私にとっての限界がこの本にもあって、著者がキリスト教信者であるということ。言っていることが信じられないのではない。キリスト者ではない私でも聖書の内容に共鳴する。キリスト者の友達もいるし、好きな作家である須賀敦子も曽野綾子もキリスト者だ。

 ただ、もっとも大切な部分、その人の生の根幹が神への信仰にある、ということで、そうでない私は、最終的に魂ごと理解できない、寄り添えないかなしみみたいなものがある、そんなかんじ。

 旅行後のどん底の中読んだ本として記録しておこう。旅行中持っていった本は一冊だけ。これも書棚から選んだ。辻邦生の『生きて愛するために』。けれど一度も開かなかった。

 もちろんいつものノートも持っていった。なにか思いついたことなどをメモする、いつも近くにある大切なノートを。でも、一度も開かなかった。なんにも書かなかった。そういう旅だった。でも旅行中私は思っていた。いま何も書く気にならないとしても、私は見ているし聞いているし感じているはず。お願いそうであってほしい、と。

 それと。書かないには書かないなりの理由があるようにも、いまは、思える。記憶から大切なものを抽出し、それを描き出すという、そういうやり方。もう少し、自分の記憶とか、そういうものを信じてみたい、忘れっぽくはなっているけれど、あんまり疑わないで信じてみたい、そんな気にもなっている。

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