■■混乱が個人的な世界を覆っている■■
2017/05/25
「舞台をすべて演出し、コントロールしているのは、たしかに私かもしれない。だが、その私もまた、この舞台の上で踊っているのだ。
そしてそのために、私は信念と夢を捧げている。
この芝居は私の信念があればこそ、成り立っている」
「全世界を覆うこのペシミズム、この沈潜に関わることを、私は断固拒否する。目には目隠しを、耳には耳栓をする。殺されるのなら、踊りながら殺される」
アナイス・ニンにすがる朝。
混乱が我が世界を覆っている。
混乱混乱混乱。自分が演じているあらゆる役柄の、それぞれの世界から、ささいな、けれどとどめにもなり得る矢が飛んでくる。
矢を飛ばしている本人は、まったくそのつもりがなく、ときにそれは愛情からですら、あり得る。そこがなんともかなしい。
そして、矢を受けながら、自分もあらゆるところに、矢を飛ばしているに違いない、と確信し、消えてなくなりたくなる。
こういう内省的な悲観的な自己陶酔的なのは今の時代、はやらない。
はやらないのだからすぐさまそんなのをやめて、時代の流れとともに、穏やかに心地よく、自嘲気味にほほ笑みながら、流されてゆけたらいいのに。
こういう気分のときは、さびしさとは無縁だ。
ひたすら、生まれ出てきたままの状態、死んでゆくときの状態にたゆたい、思考を停止していたい。
わりとよいかんじなのだろう。こういう状態のときは、原稿がすすむのだから。