ブログ「言葉美術館」

■■なんども恋におちる恋■■

2016/07/01

51dk81dbqyl昨夜は頭が冴えて落ち着かなく、少しだけブランデーを、と思ったら久しぶりにくらくらするまで飲んでしまった。


酔いは妙なことをさせるから、夜遅いというのに昔の原稿やらノートやらの整理をはじめ、過去を半分くらい破棄した。


その昔のノートに「決定的に恋におちた」という言葉があって、なんだそれは、と(自分で書いた言葉なのに)つっこみをいれつつも、(自分で書いた文章なのに)面白く読んだ。


それは、あるマンションの屋上のプールでの出来事。

何人かで騒いでいて、私は水に入らずに日焼け止めをぬりたくり、大きなサングラス、大きな帽子、さらにパラソルの下で完全に紫外線から身を守った状態で、はしゃぐみんなの様子を見ていた。

すると、そのとき、出会って間もない恋の相手が私の名を呼んだ。
そして水のなかからジャンプしながら、私に手を振った。

強い陽射しと彼のウエーブがかった髪、そして百パーセントの笑顔が、瞬間、私の心にうそのように強烈に焼きついた。

そのとき、そう、今でもよく覚えている、「いま、私、このひとに、ほんとうに恋をした」と感じたのだった。

恋をして、そのひとを知り始めてしばらくしてから、それでも「ああ、私、いま、恋をした」と感じる瞬間がある。

それは私がノートに書きつけたように「決定的に恋におちた」瞬間といってもいいかもしれない。


そんなことに想いをめぐらせると、ああ、あの映画のあのシーンもそうなんだ、といくつか思い浮かぶ。


私にとっての特別なひと、アナイス・ニンの日記を原作とした映画「ヘンリー&ジューン」のなかにもあった。


映画館でぼろぼろと涙を流すヘンリー・ミラー。ふだんの彼と異なる顔。


それを見たアナイス・ニンは、そのとき彼の魂、感受性というものに鋭利にふれたのではなかったか。

あのとき、アナイスは、決定的に恋におちたのだと思う


そして、特別な相手との恋は(もちろんどんな恋でもいつかは終わりがくるのだけれど)、その恋愛中、なんどもなんども、決定的な瞬間を経験する、そして関係が深まってゆく。


軽井沢は感傷的な季節になりました。木々の色彩が、いいよ、もう夏も初秋も通り過ぎたことだし、自分のなかに入り込んでいいよ、と許可してくれているように、感じます。

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