■■人生のクライマックスという言葉を想う■■
2016/07/01
2009年も終わろうとしている今夜、一年分のブログと、あとは一年分のノートのメモなどを眺めて、私の2009年はあらゆる意味を含んで、やはり「かるいざわ朗読座」に集約されるのだろう、と考えている。
私の作品世界を好きだと言ってくださる方に導かれて支えられて脚本をつくり、それを天才たちが表現してくださる。
2009年の11月21日は、私の人生においていいようもない重要な日だった。
拍手のなか、ステージにあがり挨拶をし、舞台裏で涙とともに天才たちを抱擁し、私は幸せのエクスタシーにどうにかなってしまいそうだった。
43年の人生の、いくつかのシーズンは死を想わないではいられないほどつらい日々があった。
ようやく見つけた進むべき道を、見失いそうになったことも何度もあった。
それでもなんとか生きのびて書き続けて、そしてあの日があったのだと思う。
出逢いがすべてなのだ。
けれど出逢うためには、出逢いに続く道を歩き続けなければならない。
だから歩き続ける。
ともに歩くひとがいるときは手をつないで、ときどき駆け足になりながら道をゆき、ともに歩くひとがいないときには、孤独につぶれそうになりながらも、信じた道を進むしかない。
私のブログを読んでくださっている親愛なるみなさま。
どのような一年でしたか。
みなさまの2009年、クライマックスという言葉から連想される瞬間はどのようなときでしたか。
あたたかなメールをありがとうございます。
作品についてのあたたかな言葉に、いったいどれほど励まされたことでしょうか。ほんとうに嬉しく受けとっています。