ブログ「言葉美術館」

■■挫折と愛ある世界■■

2016/07/01

Cid_f13fac74882843a8a0701133bc1ef55「作家なんていうのは、挫折と希望の繰り返しでしょう」

たしなめるように、いたわるように言われて、涙しそうになってしまうのは、挫折ワールドにいる証拠だ。


世界は無理解と理解が好意と嫌悪が、共鳴と隔絶があって、そんなのはわかりきっているのに、いちいち反応してしまう自分にうんざりする。


「大人はいいな。宿題がなくて、学校に行かなくてもよくて、好きなことができて」

「とんでもない。好きなことができているひとは、ほんのひとにぎり」

「じゃあ、ママはいいな。好きなことができて」

「好きなこと、か。たとえそうでも、それでも、苦しいときも、わりと多い」


そんな会話を朝、かわしてしまったり。


人は結局、生きるべき運命を生きるものだ


ベジャールの言葉に、自分の人生を考え込んでしまうのも、同じこと。

挫折ワールドにいる証拠。


それでもそんなとき友から一通のメールが届く。

私の作品を読み返してくれたと言い、それだけでもすごく嬉しいのに、さらに美しい言葉をくれる。胸に響く。深く感謝する。


そう。

人生の挫折めいたそんなときこんなときは、なにも無理して自分を酷使することはない。


理解と好意と共鳴をくれるひとの側で憩っていればいい。それが悪いことであるはずがない。

愛ある世界が悪いわけがない。

そんなふうに思う、晴れた午後。

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