■■挫折と愛ある世界■■
2016/07/01
「作家なんていうのは、挫折と希望の繰り返しでしょう」
たしなめるように、いたわるように言われて、涙しそうになってしまうのは、挫折ワールドにいる証拠だ。
世界は無理解と理解が好意と嫌悪が、共鳴と隔絶があって、そんなのはわかりきっているのに、いちいち反応してしまう自分にうんざりする。
「大人はいいな。宿題がなくて、学校に行かなくてもよくて、好きなことができて」
「とんでもない。好きなことができているひとは、ほんのひとにぎり」
「じゃあ、ママはいいな。好きなことができて」
「好きなこと、か。たとえそうでも、それでも、苦しいときも、わりと多い」
そんな会話を朝、かわしてしまったり。
「人は結局、生きるべき運命を生きるものだ」
ベジャールの言葉に、自分の人生を考え込んでしまうのも、同じこと。
挫折ワールドにいる証拠。
それでもそんなとき友から一通のメールが届く。
私の作品を読み返してくれたと言い、それだけでもすごく嬉しいのに、さらに美しい言葉をくれる。胸に響く。深く感謝する。
そう。
人生の挫折めいたそんなときこんなときは、なにも無理して自分を酷使することはない。
理解と好意と共鳴をくれるひとの側で憩っていればいい。それが悪いことであるはずがない。
愛ある世界が悪いわけがない。
そんなふうに思う、晴れた午後。