■■激励のタイミング、真のコミュニオン■■
2016/07/01
低空飛行が続いている毎日のなかで、お腹が地面に着いちゃいそう、不時着してしまいそう、なんて他人事のように思っているときに、一通のメールが届く。
ほとんど会うことのないひとなのだが、ときおり、私の本の感想や、こんな感想を発見したよ、といった内容のお知らせをくださる。
私は批判に弱いので、ネットでうっかりそれを目にしないように、注意深く生活しているから、「よきもの」だけを拾い上げてくださるのはとっても助かっている。
今回のメールには、このところの私のブログの内容についての感想と、あるブログのリンクがあった。「きっと、貴女の力になると思いますよ」とあったので、そのリンクをクリックした。
そして感動してしまった。そこには、「あの本を、このように読んで下さっただなんて、これって作家冥利につきる、っていうんじゃないの? 嬉しすぎる」と、口に出してつぶやいてしまうほどの内容が、あった。
ほんとうに勇気やら嬉しさやらそういう明るい色彩が胸にひろがって、涙が出てきてしまった。
『美神(ミューズ)の恋』については、それを承知で書いていて、そのことを「文庫版あとがき」でしつこく書いてはいても、私がそれを承知の上で書いていないように、とられることがある。
確信犯なのだからしらんぷりしていればいい。と自分に言い聞かせても、言われれば何かしらの衝撃は受けてしまう。
け
れど、一方でこのように読んで下さる方が存在している。
あの日、あの夜の一通のメール。そして、嬉しいブログ。そしてあの夜の私の状態。絶妙のタイミングだった。
なので、初めてのことをしてしまった。ブログを書いた方に、メールを差し上げてしまったのだ。
そして許可をいただいたので、ここにリンクさせていただきます。こころからの感謝とともに。
↓こちらです。
三時間後、顔をつくりながらふと思い出した。
そうだ。メイ・サートンの日記のあの部分。
「私の仕事を発見してくれるであろうどこかにいる誰かの孤独と私の孤独とのあいだには真のコミュニオンがある」
ノートを広げてみれば、これを書き写したのは2004年の秋だった。
右側に小さく踊るような字で「このように思いたい思いたい信じたい」とあった。