■人間の真価 「虚空遍歴」 山本周五郎■
2016/07/01
ひとを好きになると、そのひとのことを知りたくてたまらなくなる。
すべてを知りたくなる。
世間的な道徳というものに評価されている部分もされていない部分も、すべてを知りたくなる。
そして、それらをすべてつつみこんで抱きしめたいと思う。(やめてくれ、重たいんだよ、みたいなことを言われた過去もあるが、懲りない)
そんなかんじで、このところ坂口安吾やサガンやヴァージニア・ウルフなどの伝記と作品を、何度目かになるが、乱読しているのだけれど、作家が本のなかに書いていることと、いわゆる「実像」との間の隔たりが割と多いことが、このところの読書ではとても気になっていた。
そうしたら昨夜眠る前に、ふと、山本周五郎の小説『虚空遍歴』を思い出した。
正しくは、小説の「解説」で引用されていたブラウニングの言葉なのだが、これがふと頭に浮かんだのだ。もしかしたら以前にも書いたことがあるかもしれない。
「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決るのではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたか――である」
ああ。このひとは、結局は、あんなふうだったりこんなふうだったりしたけれど、根本のところの思想はこういうものであり、このように生きようとしたひとだったのだ。
好きな作家たちに対して、そういう見方をしたいと思った。
そして、私自身の周囲にいるひとたちに対しても同じように、「どのように生きようとしているのか」。
そこに人間の価値を見たいと、今朝は強く思った。
気分がすこし晴れてきた証拠で、嬉しい。