■彼女のマリリン 「砂糖菓子が壊れるとき」曽野綾子■
2016/06/30
「仕事には生きているんですよ、皆。
けれど、生活というのは、決してそういうもんじゃない。もっと退屈で、無駄の多い、何が何だかわからない、やむを得ない生き方をすることなんだと僕は思うな」
「生活がない貧しさ」についてのセリフに、胸をつかれる。
「生活がない貧しさ」が悲しいひとは生活を求め、生活に疲労したひとは生活がない貧しさをもとめる。
自分にはないものを求める人間の図式がここにもある。
マリリン・モンローの死に衝撃を受けた作家は、当時、同じように不眠に苦しみ睡眠薬を前に途方にくれていた。
そしてできるかぎりの資料をかきあつめると、マリリンをモデルにした小説を書きあげた。
マリリン・モンローについての本をたくさん読んでいた私は、それらの本を読んでいたときと同じような苦しみを、曽野綾子の小説を一気に読んで、味わった。
マリリンの、自分を愛してくれる男性に病的なほどに依存してしまう性質。
そのときその瞬間の彼女の苦しみが悲しみが、もうどうしようもないほどの想いが、いやというほどに想像できてしまう。
理解できるとは言ってはいけない。
ただ、体感するほどに想像してしまう。それが苦しい。
私はそんな自分の性質を知っていて、そしてマリリンほどに純真ではないから、用意周到にバリアを張り巡らせて自己防衛する。
思いだしただけで疲れるほどにする。
なのに、あまり成功しなかったところが我ながらあわれだ。
そのひとに会うと、そのひとのまなざしの前に、それまでの努力が吹っ飛んでしまう、情けない盲目さも、私のなかに在る。
年齢を重ねても甘えたい依存癖は変わらずに私のなかにとどまっているようだ。
いったいいつまでこういうのが続くのだろうか。
それにしても、この小説はおもしろかった。
そしてこのところはおもしろい小説を読むと落ち込む。
だから創作のために、おもしろくない小説を読みたい。
今日は晴れ。なのに、家から一歩も出ずに、そしてこれから本棚の前に立ち、おもしろくない小説を探すつもり。