ブログ「言葉美術館」

◾️「わたしはわたしよ」、プレヴェール

 

 さいきんぼんやりすることが、ますますふえて、よく食器を割っているけれど、昨日は自分のからだを痛めてしまった。編集者さんと打ち合わせ中に、よく知っているはずの仕事部屋で。

 ソファの木製の肘掛け部分に勢いよく腰をおろして、背骨のいちばんしたの果てのところをしたたかに打った。瞬間、その部分よりもあたまの一番上のところがくらりとして、身体ってつながっているんだなあ、と変に感心した。

 歩いているぶんには何ともないけど、座ったり寝ていたりしていると痛い。そんなわけでよく眠ることができず、起きてもぼんやりがぬけなくて、プレヴェールの詩集を手にとった。

 お友達と最近プレヴェールの話をすることが多いので、近くに置いてあったから。

 プレヴェールは以前から好きでいろんなところで引用したり借用したりしている。

 あらためて久しぶりに詩集ぜんぶにざっと目を通した。

 今回はタイトルに惹かれて、この詩を選ぶ。

「わたしはわたしよ」

***

わたしはわたしよ

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃと笑うわ
愛してくれれば わたしも好きだわ
相手がかわって なんでわるいの
わたしはわたしよ もともとこんなよ
しかたがないわね しかたがないでしょ

もともと男に すかれるたちなの
ヒールはたかくて ウエストほそくて
お乳はおもくて 目はつかれてて
けど そんなこと 男になんなの

わたしはわたしよ 好きなら好きでしょ

わたしのむかしが 男になんなの
そう あるひとと 愛しあったわ
恋しかできない こどもみたいに
恋しかできない……もう訊かないで
もともと男に すかれるたちなの
しかたがないわね しかたがないでしょ。

***

 ちょっと前に、男友達ふたりと3人で話をしていたとき、私は言った。

「私の仕事とかいままでのこととか、なにかそういう外側に見えるものすべてをぜーんぶ取り払った、まるで裸の私を好きになってほしいと思うのよ」

 すると彼らは言った。

「それはどうなのかな。路子さんがしてきたこと、仕事、すべてふくめてあなた自身であり、あなたの個性なのだから」

 ああ、たしかにそうね、と頷きながらも、年齢を重ねるごとに、語ることができる「経験」がふえ、目に見える「いままでにしてきたこと」もふえ、そして私は、それらと自分自身とのあいだのギャップにとまどっている。このもやもやとした苛立ちみたいな、たよりない感情にふさわしい名前はなんだろう。

 背骨の果ての痛みのなかでそんなことを思う昼下がり。

 写真は先日2ヶ月ぶりくらいにインスタグラムにアップした写真。

 もう3週間も経つのに咲き続ける深紅の薔薇、花びらが黒くなってきて、ますます好みの雰囲気に。ポルノグラフィティの「ジョバイロ」ジャケットの写真は深紅の薔薇がトカゲに変容する、これまためちゃくちゃ好みの絵。背景には大好きな画家のお友達からプレゼントされた「愛を読む人」にインスパイアされた絵。

*プレヴェールについてのブログいくつか

2008年9月3日◾️「ほんとうは叫びたい」

2007年9月3日■「サンギーヌ」と「アリカンテ」プレヴェールの愛の世界

2013年5月1日◾️「夜のパリ」、飢えてプレヴェール

 

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