■彼らの慟哭「中原淳一 あこがれの美意識」■
2016/06/30
風の強い祝日の午後のひととき、ぽっかりとひとりきりの時間ができて、リビングのテーブルの上に娘が置きっぱなしにしていった本を手にとった。
『中原淳一 あこがれの美意識』。
同時に数人を愛することが困難なように、同時に数人を書くことは困難なので、意識的に手にしないでいたのだけれど、ちょっとくらいいいか、と開いたら、出逢ってしまった。
中原淳一が竹久夢二について語っているくだり。
夢二は数多くの恋愛遍歴で知られる。そのあたりのことについて。
「道徳の世界では夢二が恋愛に関してとった態度を、周囲は否定せねばならない。
これは夢二にとっては不幸なことだ。
もし現在の社会の他に、もう一つ別な道徳(モラル)をもった社会があったなら、夢二はそこに住むべき人であった。
つまり彼の生涯は、彼にも周囲にも不幸であったといえよう。
そ
してその不幸が夢二の画を貫く宿命のかなしさになった。
まことに夢二は、このきびしい現実の中で精一杯ロマンチックに生きようと努めた人であった。
彼の画のその甘い抒情の裏にギリギリと深く彫りつけてあるものこそ、夢二の現実との苦しい闘いの傷跡だったのである。」
ここを読んだとき、私は中原淳一の慟哭を聞いたように思った。
夢二の「宿命のかなしさ」はそのまま彼の「宿命のかなしさ」であると確信し、中原淳一というひとの「甘い抒情の裏にギリギリと深く彫りつけてあるもの」を、「現実との苦しい闘いの傷跡」を知りたいと願った。
私は、彼の美しい画、美しい言葉の裏にある傷を見たい。
部屋のなかはあたたかく、ひざかけのしたはぬくぬくとしていて、窓外に目をやれば強い風に今年はなかなか色が変わらないもみじがゆれていた。
「ああ、この瞬間」と思った。
すごく稀に訪れる、かんぺきなひととき。
私は孤独をいつくしみながらジャン・ジュネの言葉を懐かしく思い出した。
「美には傷以外の起源はない」