■愛すること 「驟雨」 吉行淳之介■
2016/06/29
「愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ」
中田耕治先生の文学講座の余韻で吉行淳之介を読み返している。
昨夜は「驟雨(しゅうう)」。
なんだかむしょうに、この作家と話をしたくなった。
逢いたかったなあ、とつよく思った。
ひとを愛するということについて、愛されることについて、自身の文学と実生活とのあいだに存在する隔たりについて、からだのよわさについて。話したかった。
「気に入る」ことと「愛する」ことの違い。
「気に入る」にとどめておくことの気楽さとむなしさ。
「愛する」ことの苦しさと充実。
私のなかにあるものととても近いものを見た。眠りに落ちるすんぜんに、何度も読み返した箇所。
「その女を、彼は気に入っていた。気に入る、ということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。それは自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。そこに愛情の鮮烈さもあるだろうが、わずらわしさが倍になることとしてそれから故意に身を避けているうちに、胸のときめくという感情は彼と疎遠なものになって行った」