■「独り居の日記」 メイ・サートン■
2016/06/28
「今朝は泣きながら目を覚ました。60近くにもなって、人は自分を大きく変えることができるだろうか?」
このところ眠る前の本はメイ・サートンの『独り居の日記』。
何度も読み返す本のひとつ。ちょっとチェックしたら過去に3回書いていた。
サートンは83歳で亡くなるまでずっと詩と小説を発表し続けた。
その創作意欲は衰えるどころか、年齢を重ねるごとに成熟していった。
1960年代の後半、小説のなかで自分自身の同性愛を告白、時代が時代だったから、大学の職を追われ、予定されていた本の出版も中止。
父親の死、失恋が重なって失意の暗闇に落ちる。
そして彼女は未知の田舎でひとりきりの生活をはじめる。その一年間の日記。
私、軽井沢で、ひとりきりの家で長い時間を過ごすような生活をしていなかったら、ここまでの感情移入はしていなかったかもしれない。
今回たちどまった部分では、60歳近くになったサートンがひとりきりの部屋で、泣きながら目を覚まして「人は自分を大きく変えることができるだろうか?」と自問している。
みずみずしい感受性と強さを併せもった作家が、泣きながら目を覚ましているという状況をしずかに想像する。
サートンの場合は、自分自身をとても怒りっぽいと自覚していて、それを他人の前で爆発させてしまうことが多いから「怒りや敵意や相反する感情などを統制すること」を学びたい、と願っている。
そうしないと「愛している人を失うだろう」と恐れている。
感情を統制することが大切なのだと思わせる人と、それは大切なことなんかじゃないと思わせてくれる人とがいる。
サートンが「そのままでいい、感情を爆発させていい、うけとめるから」という姿勢のひとを愛していたら、この朝、泣きながら目を覚まさなかったのかもしれない。
そんなことを考えた。
もっともサートンには大きなお世話よ、って言われるだろうけれど。
感情を抑えることをし続けているとだんだん慣れて麻痺して表情がなくなってしまう。
笑うことも泣くこともだんだんなくなってしまう。
ひとりで泣きながら目を覚ます朝なんて、さびしすぎる。