■新川和江の美しくきよらかな悲しみ■
2018/01/22
「精神の安住を嫌い、本質的な問いを絶えず発し続けてこられました。詩人としても、人間としてみても新川和江の値打は、そこにありましょう」
新川和江詩集「私を束ねないで」の解説で引用されている茨木のり子の言葉。
ここの「精神の安住」「本質的な問い」「値打」、みっつの言葉で立ちどまった。
そして連休のある日の午後一時間、じっくりと一冊の詩集世界に入りこんだ。
詩人のまなざしと見たものを表現する言葉の強さ、たおやかさに胸をうたれた。
書きとめた箇所はいくつもある。
たとえば、季節的には合わないけれど「雪の朝」から。
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こらえにこらえていたものならば 歓びではなく それは 悲しみであるのにちがいない
天のとつぜんの告白に 世界じゅうが しいんとなりをひそめている
わたしの悲しみも どれくらいこらえて こころの口を握りしめていたら
このようにうつくしくなれるのだろう
このようにきよらかになれるのだろう
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都会よりもたくさん雪を見る環境、軽井沢にいながら、10年間、私はこのように白い雪を眺めたことはなかった。
泣けてくる想いで今年はじめての雪は軽井沢で見たいと願った。
そうして、こらえにこらえていたものが、空から降り注ぐようすを、暖かな部屋で暖かな毛布にくるまって、静かに眺めていたい。
少しだけ窓を開けて。冷たい空気に頬なでられながら。
軽井沢が恋しい。
「婚姻」のなかにも、新鮮な感動があった。
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イヴのからだが アダムの肋(あば)ら骨で つくられたのなら
わたしはあなたの肋ら骨だ
わたしのすべては あなたのものだ
百千のおとこの中から わたしが見つけた ふるさとあなた
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