ブログ「言葉美術館」

◾︎満月と海と美

 

 ある日、突然に、「私はギリシアに行かなければならないっ」と言い出したかと思ったら一週間後にはギリシアに旅立って、帰国した娘から、帰宅してすぐに旅の話を聞いた。

 最初から物語のように話すから面白い。アブダビ経由だったけれど、アブダビを観られなかったのが惜しい、からはじまって、……それでね、サントリーニ島で楽しみにしていたイアの夕陽、世界一の夕陽といわれるだけあって、とても綺麗だったよ、でもね、ここからが本番。今回の旅行のナンバーワンの出来事が思いがけず起こったのは夕陽のあとだった。

 その夜は満月で、イアからの帰り道、満月がほんとうにほんとうに眩しいくらいに輝いていてね、その月明かりが海にね、ギリシアの海にね、ぱあっと映りこんでいて、あんなにきれいなもの、見たことない。写真なんかじゃぜんぜん残せないから、撮らなかったけど、あれは忘れない。 ねえ、ほんとうにすごかった、それにね、満月なのに、星がいーっぱいでね、ほんとうにすごい夜だったんだよ……

 ほかにもアテネでのことなどのいろんなエピソードがあるけれど、私の心に残ったのは、やはり満月と海の風景だった。

 彼女の、興奮して話す様子から私は、ありありとそのときの月の美しさを想像することができた。そしてどんなに感動したことだろう、と彼女の心情も想像できた。

 じっさいに一緒に体験していなくても、こんなに心に響くことというのがある。

 そんなことを思っていたら、海外にいるお友達から手紙が届いた。満月の話からはじまっていた。柔らかな黄色い光、ひたと見据えられるように心の内面に差しこんできて、手をとめて数分間みとれてしまった、と。

 日付を見ると、娘の見た満月と同じだった。

 お友達の手紙には、美しいものにふれた経験、そのときの心の動きが美しい文章で綴られていた。私はくっきりと想像することができた。お友達のそのときの表情までもが、くっきりと。

自分がたいせつにしている人の体験は、こんなにも自分の体験そのもののように心身に刻まれる。

 ギリシア。新婚旅行めいたかんじで訪れたのはもう22年前。雑誌フラウにそのときの旅行記を小説風に書いた。物語で1番描きたかったことはミコノス島で見た、海におちてゆく夕陽だった。この夕陽を私はぜったいに忘れない、と書いたように記憶している。

 そしてやはり忘れてはいない。そう、忘れてはいない。美しい過去の思い出のひとつとして、私の人生にたしかに刻まれている。そして、あれからいくつもの美しい夕陽を見た。これからもきっと見る、と思いたい。美しいものにふるえる心の動きがあれば、美しいものを見ることができる、と信じたい。

 美しいものを見ていない、と思ったときは自分のこころが愚鈍になっているということ。さいきんもしかしたら愚鈍になっているかも。それがなによりおそろしい。

 そんなときに、心の奥底に届いた満月の話ふたつ。

 どれほど私にとって嬉しく貴重だったことか。日々の雑事、仕事の締め切りに忙殺されて忘れてしまう前に書き残しておこう。

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