◾︎アナイス52歳の秋と同じ「ショート」
昨夜はロシアの詩人アフマートヴァの伝記を読み始めたけれど、著者の文体のせいなのかなんなのか、私の頭には難しくて途中で放棄、すがりつくようにまたしてもアナイスの日記を開いた。私と同じ歳同じ季節のところが読みたかった。「1955年秋」の章を読み始めていきなり驚いた。1955年秋。アナイス52歳の秋。私と同じ歳同じ季節。
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LSDを飲んで一昼夜は、過剰な刺激を受けたせいで落ち着かず、疲労困憊した。あまりに大量の振動に曝されたからだは、感電死したも同然の状態だった。
人間の許容範囲を超えている。千の夢をひとつに集約し、自分の中心から完全に切り離され、物理的肉体と調和できない環境・リズム・空間に放り出されたようだった。そう、強すぎる電流。(略)何日も茫然として過ごさなければならなかった。
書くことも長く中断してしまったので、こわくなった。漏電(ショート)。燃えつきた回路と神経。燃えつきたエネルギー。
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まったく私と同じ状態だ。びっくり。
感電死、ショート。
私の場合はクスリではない。タンゴ。クスリによる電流ではなく、タンゴという刺激による電流。
9月15日から26日までのブエノスアイレスの旅がいまはまだ、言葉通り夢にしか感じられない。
タンゴ一色の、奇跡的なブエノスアイレスでの一週間のあと、私はまだ精神的放心状態から抜けきれない。ひとりきりのときにタンゴを聴くことができないのがなぜなのかさえ、まだわからない。一緒に行ったお友だち、そして自分が撮った写真さえ、積極的に見ることができない。それがなぜなのかさえ、わからない。
とてもじゃないけど、ほかのひとたちにブエノスアイレスの感想なんて話せる状態ではない。だから何人かのひとに聞かれたけれど、ちゃんとお話しできなくてごめんなさい。
帰国した週の金曜日、先週末、テレビのインタビュー収録の仕事があった。「私、ただいまショート中」というわけにもいかず、その準備でタンゴとまったく関係のないひとりの女性と向き合っていた。そうするとますます、あの一週間がほんとうに夢だったような気がしてくる。そしてまだ夢のなかにいるような。
もやもやとする。それで自分のなかの精神のバランスをとりたくて、昨夜は本を手にとったのだった。
アナイスとの一致にびっくりしてふしぎな安堵とともに眠りにおちた。
もやもやはもやもやのままで。自然にきっと、あの一週間のことを書きたくなるから。と自分に言い聞かせる。あんなに集中的にタンゴの電流をながされちゃったのだから、しかたがない、と。
昨夜、眠る前の娘に「いま充実してる?」とたずねたら肯定の返事があり、私のことを問われた。私はこたえた。おそらく、でも、精神的放心状態からはいまだ抜けでていないの、と。