◎Tango ブログ「言葉美術館」

■私のブエノスアイレス*5■

2018/10/24

 ライアの歌声に出逢った日のカニング。

 私が目にしてしまった、もうひとつの忘れ難いもの。

 その日はちょとだけ、コンテストみたいなイベントがあった。

 たぶん、プロではない人たちのためのミニコンテスト。誰でも出られるみたいなかんじの。ああ、こういうの好きじゃないのよねえ、と早く終わればいいのに、くらいの気持ちで私はフロアを眺めていた。

 何組かがゼッケンをつけて踊り始めた。

 赤ワインを飲みながらしらけムードで眺めていた私の目のすみっこに、なにかが、きらりと映った。

 きらきらって。

 なに? 

 そのきらりとしたものの正体を私は追った。

 それは、女性ふたりの姿だった。

 まさに、思わず身をぐいっと乗り出すといったかんじで、私は強くひきつけられた。

 女性ふたりというのが、そのペアだけだったからではない。

 私が好きな世界、私が好きなタンゴを、彼女たちは踊っていた。

 わあ。と胸のうちで感嘆の声をあげた。

 なんて、なんて幸福そうなの。なんて、なんて楽しそうなの。なんて、なんて……うっとり感まんさいなのっ。

 リードする女性には彼女をリードするよろこびが、リードされる女性には彼女にリードされるよろこびが、とってもこまかな粒子のようにきらめいて、ふたりをつつみこんでいた。ふたりはひとつだった。

 完璧なふたりだけの世界。ふたりだけの小宇宙。

 コンテストに出場しながらも、周囲のことなんて眼中にない。矛盾がある、そこがいい。

 

 <1>に書いたように、私もときどき、女性のお友だちにリードしてもらったり、ときどき、リードさせてもらったりしている。ミロンガで、あまりにも男性が少ないときなどの時間がもどかしかったから、基本の基本だけのステップを教えてもらったのが始まりだった。

 私はいつか、いつの日か、男性としてではなく、ハイヒールの美しいタンゴシューズを履いて、美しいドレスを着て、好きな女性を美しくリードしてみたいと夢見ている。生きてタンゴを続けていたらの話ね。目標は10年後くらい。ほんと、生きていたらの話。気が変わらなかったらの話。

 そして、いままで、女性ふたりで踊っている人たちを、見たことがなかったわけではないけれど、カニングでの彼女たちは、ほんとうに美しかった。自分のことをあげる「棚」をたくさんもっている私にとって、そのひとの内容を知らずに女性のことを美しい、って思うことは数少ないから、自分でも驚いた。

 

 観客が審査員。自分がよいと思ったペアの番号を書く紙がまわってきた。

 1から3まであったか、1と2だったか忘れたけれど、私はすべてに彼女たちのナンバーを書いた。

 お友だちは「それって無効票になっちゃいますよ」と笑ったけれど、彼女たちに伝えたかったから。それに彼女たち以外には目がいかなかったから。

 フロアを眺めていて、どうしても目が、ぐーんとついていってしまうペアと、そうでないペアの間に横たわるものは何だろう。

 たくさんの種類のステップをふんで、おそらくこういうのを上手、っていうのだろうな、という動きをしていても、何かがないと私の目はそれてしまう。

 まだ答えははっきりとは出ない。

 ただ、私の目が、ぐーんとついていってしまうペアには、ふたりだけの世界がたしかにあって、ふたりの温度、熱量が同じなかんじ、それがある。

 私はその世界の能力をもってはいないけれど、ふたりをつつみこむ、ふたりだけの色彩のオーラが、とってもこまかな粒子のようにきらめいて、やわらかく、ずっとふたりをつつみこんでいるかんじ。

 からだをぴったりつけるクローズドのスタイルでも、からだがぴったりくっついていないオープンのスタイルでも、その薄いベールのようなオーラは、破れることがない。かたちをかえて、ずっとふたりをつつみこんでいる。

 ふたりのプライヴェートでの関係性は、おそらく重要ではない。その曲を踊っている刹那、「それ」があるかどうか、だ。

  いまはそのくらいしかわからない。

***

 

 ラストタンダ、いつも踊ってくれるお友だちが脚を痛めていて限界、踊れない状態だったので、ラストは踊らずに化粧室に行った。

 そこに、彼女がいた。

 リードをしていた女性だった。

 きづけば、私は彼女に声をかけていた。

 なんて話しかけたのか覚えていない。赤ワインで酔っていたし、もう、すべてがクラクラモードだったし、スペイン語の挨拶の何かを間違いながら口走ったようで、「エスパニョール?(スペイン語話せる?)」と尋ねられて、ぜんぜんだめなのさ、と首をふると、「イングリッシュ?」と聞いてきたので、イエス、とか答える。そうすると、英語、私も話せるわ、と言うので、がんばって彼女に伝えた。

   そう、得意のジェスチャー&うるうる目で勝負よ。

「私はあなたたちのタンゴが好きです、大好きな世界がありました。私は、あなたはタンゴを愛している、と感じました」

 といったことを。すると彼女は、目を見開いて、きらきらっとさせて言った。

「そのとおり! 私、タンゴを愛しているの!」

 それからどちらからともなくハグをして、ほんとうにありがとう、と言い合った。

 

 あの白く広い化粧室のひんやりとしめった空気、流れっぱなしの水、私たちのかたわら、がらがらがら、とロールペーパーを引く音。

 

 ラストタンダを踊っていたら、おそらくなかった時間。

 ということは、彼が脚を痛めていたこととも、これはつながっている。

 脚を痛めてくれていてありがとう、……なんて無慈悲なことは言いません。けれど、やはりなにか、意味深いものを、ひとり勝手に感じてしまう。

 

 いま、目を閉じて、あの夜のカニングを思い浮かべる。

 脚を痛めてしまっていたのに何タンダか踊ってくれたお友だち。そしてライアの歌。女性ふたりのタンゴ。

 

 ブエノスアイレスは、私に何を与えようとしているの。

***

 

 と、ここまで書いて、気になって、女性同士のタンゴ、で検索してみたら、こんな記事があった。

「タンゴ世界選手権に同性ペア、初めて出場、アルゼンチン」(2013年の記事)

 男性同士のペア、そして女性同士のペア。

 女性同士のペアの言葉に、とても共感したので、そこだけここに。

『誰も私たちにダンスをしようと声をかけてくれなかったの。ワインを飲んで、座りっぱなしになるのが嫌だったから、一緒に踊って楽しみましょうって。そしたら気に入ってしまったの』(←動機はほとんど私とおんなじ)

『他人に見られることが重要なのではなく、私たちが楽しい時間を過ごしているってことが一番大切』(←うんうん、おんなじ)

   記事はこちらからどうぞ。

 

 

 同性同士のタンゴ。

 タンゴはもともと男同士の踊りだった、とされていることは有名みたいで、私でも知っていたけれど、そして一時期、夢中でリサーチしたこともあった。好きな映画もある。

『ブエノスアイレス』という1997年公開の映画、ウォン・カーウァイ監督、トニー・レオンとレスリー・チャンの同性愛者カップルのタンゴシーンがちらりとある。

 それから『タンゴ・リブレ』。このタンゴシーンはとっても好き。

 

 いまや愛読書のひとつとなった小説『殺戮のタンゴ』。このブログにも書いたけれど、この本には「タンゴにおける同性愛」が、かなり詳細に語られていて、とても興味深い。

 たとえばカルロス・ガルデルついて。

 アルゼンチンタンゴを研究している女性が言う。ガルデルを「最大のタンゴスターの一人で、20世紀のドンファンと言われた男」と表現したのち、こんなふうに。

「彼は若死にした、これも神話の一つなんだけど、名声の絶頂で飛行機事故で。彼の親友が50年後に死の床のインタビューで告白した。彼は男とやるほうが好きだったと。もちろんこれは国民にはショックだった。テレビインタビューは中断された」

 タンゴの起源についての話になると、あまりにも長くなるから、ここでは小説のなかから一部だけ。

「1880年ころ、このダンスが生まれたとき、ブエノスアイレスは完全に女不足だったの。大量移住の典型的な状況。もちろんこれは数少ない自由になる女の愛顧をめぐる大競争をもたらした。

タンゴはこの競争の一形態だった。優れたダンサーほど女にありつくチャンスが多くなる。

もちろん最高のダンサーは生まれつきからして黒人だった。ここにはかなりの数の黒人がいて、独自の音楽とダンスを持っていたの。カンドンベ。それはタンゴのなかにもかすかに透けて見える。(略)

女不足は男たちをいっそう結集させることにもなった。彼らは売春宿の前にたむろして、順番を待ちながら、酒を飲んだり、煙草を吸ったり、殴り合いをしたり、失われた故郷を偲んで泣いたりしていなければ、みんなでタンゴを歌って、踊った」

 

 一時期、研究していた「芸術家と同性愛」についての本を何冊か引っ張り出してきて、ページを繰る。

 天才と同性愛について、私は強い興味を抱いていた。男性芸術家で同性愛者だったひと、なんてあげはじめればきりがない。そうでないひとをあげたほうが早いくらいだ。

 それから本を置き、頬杖をついて思いをめぐらせる。

 私が好きな女性芸術家。思いつくままにざっとあげても、アナイス・ニン、サガン、シャネル、ピアフ、マリリン、フリーダ・カーロ、みんなバイセクシャルだった。私は自分がそうでないことに対してずっと劣等感を抱いている。人を愛することに性差はない、という精神の自由に美を見るからで、自分にはそれがないのだということへの劣等感だ。はしくれだとしたって、いちおう、物書きだっていうのに。

 大昔に出版した小説『軽井沢夫人』で、夫人が女性と愛を交わす白昼夢のシーンを入れたのも、そんな思いがあったからだと思う。

 そういったこととタンゴとをつなげて考えると、なにがなんだかわからなくなってきて混乱する。だから、この話はここでおしまい(たいまん)。

 

***

 ブエノス、2日目。はじめてのシルビアのレッスン、タンゴシューズのショッピング、そしてカニングでのふたつの忘れ難き出逢い。

 そして明日はTango Bardo タンゴバルドの生演奏。

 

 なかやまたけし先生の「Tango Salon Loca タンゴサロン・ロカ」

 私も通うこのスタジオの名は、タンゴバルドの演奏による「Loca」を先生がとても好きで、そこからつけられた。ロカ=クレイジーな女。狂女。

 日本にいるときからお友だちがTango Bardoのメンバーにメールをして、私たちが行くこと、そして私たちのタンゴサロンの名の由来について、彼らに伝えている。

 だから、どうしようもなく期待は高まる。

「明日はバルドですね」「楽しみですねー」

 帰り際、そんな会話にうんうん、とうなずきながら、私も胸がたかなる。

 深夜、からだはクタクタでいまにも倒れそう。なのにおかしなハイテンションだった。あたまのてっぺんから足先までぴりぴりしているかんじ。ぴりぴりしているのに、ふわふわもしていて、自分が自分でないかんじ。深夜、近くのホテルまで歩いて帰宅しているときも、夢のなかをさまよっているような。

 ぴりぴりとふわふわ。

 とにかく明日はタンゴバルド! どのワンピースにどのシューズにしようかな(この時点で4足増えている)、いいえ、なにより完璧なコンディションでのぞみたい。いっぱいいっぱい踊りたい。

 バルドの生演奏で踊ったら、私、どうにかなっちゃうよ。いいの、どうにかなっちゃいたいー! きゅーん。

 そのくらいのテンションだった。

 なのに。ああ。

 私は、いま自分でも、「わたくしとしたことが。ありえなくってよ」と言いたい失態をおかすことになる。私のばかばかばか。

(<6>につづく)

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