◎Tango 私のブエノスアイレス〜タンゴ紀行〜

■私のブエノスアイレス*6■

2018/12/13

 3日目。

 私は初日からすでに食欲というものから見放されていた。眠りは薬でなんとかなっていたけれど。

 もともと旅行中でなくったって、執筆に集中していたり恋に溺れていたりすると、食べることを忘れてしまうのだから、こんな濃厚な日々なら無理もないと思う。日本から青汁の粉末、何種類かのビタミン剤的なもの、カロリーメイト的なものを持ってきていたからそれでなんとか、というかんじ。あ。忘れてはならないのが「よしだ家の黒にんにく」。これは出発数日前に、先生夫婦から「すっごく効く」と教えてもらって、すぐによしだ家に電話、「旅行にもって行きたいので、急ぎで!」とオーダーしたもの。臭いは残らないとは言われているけれど、やはり気になり、ブレスケアも共に摂った。黒にんにく。効いたかどうか、比較はできないからわからない。でも精神的に支えられた気がする。ありがとう「よしだ家の黒にんにく」。

***

 その日もシルビアのレッスンから1日が始まった。2回目のレッスン。<3>で書いたようにシルビアの電流を流され、ヒーロ(ぐるぐるまわるの)のレッスンはきつく、そしてアブラッソの重要さをかみしめた日でもあった。

 アブラッソ。抱擁という意味の、(私が思うに)タンゴのいちばん重要な部分。これを何度も注意される。えーん、アブラッソは自分ではできているつもりだったのに。私ったらアブラッソ・ダメダメなまま2年間も、タンゴを踊っている、と思いこんでいたのね。

 この事実。かなりうちのめされた。

***

 スタジオを出ると、そこに、見知った日本人男性が椅子に座って眠りこけていた。このお友だち、世界旅行中に、私たちの日程に合わせてブエノスアイレスに滞在すると聞いていた。日本のミロンガで何度か会って何度か踊って、ちょっとおしゃべりをしたくらいなのだけど、かなーりユニークな男性。<1>で「ふいに登場してものすごい贈り物を爆弾のように投げこんで、あっという間に次の地に旅立っていった」と書いた、その人だ。

 みんなで彼を大歓迎し、一緒にランチに向かう。中庭のテーブル席に案内されて、文字通り「わきあいあい」と食事。

 しかーし、私はこの時点で身体に変調をきたしていた。ようするに、具合が悪くなっていた。食欲はゼロ。そしてこの日は陽ざしがとても強くて、それもつらかった。

 ふだん娘から「たまには光合成しないと成長しないよ。その生活、まるで吸血鬼」と言われるような、ひきこもりライフを送っている私。そうよ、どうせ吸血鬼よ、太陽の光に弱いのよ、悪い?

 化粧室に行こうとしたら、水が流れない、とお友だちから教えてもらう。そのまましてきちゃえばいいの、と言われても、できなかった。情けない。旅行って、こんなんじゃだめなんだよ、とわかってはいても、できなかった。水分をひかえるしかないわ。

 

***

「SUBE スーベ」という、日本のSUICAみたいなカードを使って地下鉄で移動。

 ここでパニックの発作が出てしまう。あわてて薬を飲む。ここ数年比較的安定していたからショックは大きい。

 その後、ショッピングモールのようなところに連れて行ってもらったけれど、動けない。座りこんで、落ち着くのをひたすら待つ。何度か化粧室にゆき、顔を水でぬらして、ようやく落ち着いてくる。

 それから歩いてすぐのところにあるショップ「DNI」でタンゴシューズを買い(シューズ物語はまたのちほど)、私はお友だちとホテルに戻った。ひとりで戻ろうと思っていたのだけど、彼は仕事をブエノスアイレスまでもってきていて、ホテルのプールサイドでそれをしたい、というのでちょうどよかった。

 ホテルのプールサイドで……なんていうと、すかしている感じだけど、単に煙草が吸えるから、という理由だと思う。

 

 私は部屋に戻り、ディナーの時間まで眠ることにした。

 その前にシャワーを浴びるためにバスルームへ。メイクをおとし、シャンプーを終えて、身体を軽くボディシャンプーで洗って、流して出ようと思ったとき、シャワーのお湯がだんだん弱くなってきて、ついに、止まってしまった。身体にシャボンがまだ残っているのに、止まってしまった。

 お願いー。出て―。あと数分でいいから、出て、お湯。お願いしますから。……出ろお湯。

 シャワーヘッドに向かって懇願したり脅したりしたところで、出ないものは出ない。どうしようもない。バスタオルでとりあえず身体をふいて、きもちわるすぎる、と思いながらも、疲れが勝って、そのままベッドにもぐりこんで私は、ぐう、っと眠った。

 もちろんお友だちに伝えてフロントに理由を聞いてもらった。なんだかホテルのタンクの水が全部なくなっちゃったから、しばらくは無理、っていうことだったみたい。どうでもいいわ、もう。

 とにかく私はぐうっ、と眠った。

 ディナーの時間ですよー、とお友だちに起こされたとき、私の身体は金縛りにあったみたいに1ミリも動かなかった。

 私、ディナーはパスして、もう少し休んでからタンゴバルドにそなえるわ、と伝える。サロン・カニングならタクシーでひとりで行ける、フロントで安全なタクシーを呼んでもらうから大丈夫、と。

 それが何時くらいだったのか。たぶん20時くらい。22時には支度を完了させれば余裕ね。

 アイフォンのアラームを21時にセットする。念のため21時半にも。

 その時間になればシャワーも復活しているだろうから、身体に残ったボディソープを流してから、メイクをして、そうよ、21時に起きれば、余裕で支度ができるわ。あと1時間だけ眠ろう。

 そして私はふたたび眠った。ぐう。

 ……ぐう……

 ぱち。

 目を覚ました。アラーム前に起きたんだわ。アラームを止めようとアイフォンを手に取る。

 よく、「目を疑う」っていうけど、私は、心底、自分の目を疑った。自分の目がおかしくなったほうがぜんぜんよかった。アイフォンの時刻は22時42分とあった。記憶力がないはずなのに、この数字はよく覚えている。

 それから、よく「血の気が引く」っていうけど、ほんとにそうなった。

 ありえない、寝過ごすなんて、ありえない。

 まず、絶望した。

 つぎに、諦めた。

 間に合わない。23時スタート予定のタンゴバルドの演奏、いまから支度して間に合うはずがない。第一、身体だって、なに、この重さ。動かないじゃないの。

 でも、今夜のタンゴバルドの生演奏を逃したら、「即帰国を決行」したくなるほど落ちこむだろう、ということもわかりすぎるほどにわかっていた。ずーっと前からあんなに楽しみにしていたタンゴバルド。

 意を決して、ベッドから飛び出た。もう数分が経過していた。7分で支度をして7分で会場に着けば23時ジャスト。

 ここからの行動は、いまでも自分が行ったこととは思えない。

 なりふりかまわず。

 これがぴったり。

 

***

 髪は濡れたまま眠ったので、まだ生乾きで、身体にはボディシャンプーが残ったままだけどしかたがない。メイクは? そんな時間なんてないっ。焦りでわなわなと震える手で髪をワックスでなんとか整える。「あえて無造作スタイル」ってかんじよ、そうよ、だいじょうぶ。

 それから一番簡単に着られるワンピースをクローゼットから乱暴に取り出す。ストッキングを履く時間もない。パンティーストッキングじゃないわよ、腿のところで留めるタイプのよ。私はパンティーストッキングというものが苦手なの(そんなことはどうでもいい)。

 ワンピースを片手で引き上げながら、フロントに電話。

「タクシーを呼んでくださいな」

「わかりました、15分から20分かかりますからお待ちくださいね」

「なんですってー? 15分? 20分? だめだめ、私には時間がないの~」(ほとんど悲鳴に近い)

 そういわれても困るよね、フロント男性。

 どうしよう。窓外に目をやれば外は雨がざあざあ、ほとんどどしゃぶり状態。

 ホテル近くはタクシーが簡単に拾えないことは、もう知っていた。でもトライするしかない。

「じゃあ、タクシーはいらない! 自分で拾う。そのかわり傘を貸してねっ」

 電話を切り、タンゴシューズとバッグをつかんで、走って階段を降りる。エレベーターを待っている時間もない。

 フロントで傘を借りる。優しいフロント男性は、「タクシー、拾えますか?」とのんびり穏やかに尋ねてくれる。

 「拾うしかないのよ」

 傘を受け取って外に飛び出る。優しいフロント男性が「え? おひとりですか? 一緒にタクシーを拾います、あぶないから」みたいなことを言ってくれているのを、だいじょうぶ、と手をぶるんぶるんとふりながら断って、走り出る。水たまりをばしゃばしゃさせながら、ダッシュ。前方、交差点にタクシーが止まっているのを発見。空車かどうかわからない。空車でありますように、いや、ぜったい空車、空車でなければならない。

 とにかく青信号になる前に、あれに乗ってみせる、とスピードをあげる。高校時代の50メートル7.7秒の自己最高記録をなぜか思い出す。不思議だ、あんなときに。なぜ。

 信号が青に変わってタクシーが動き出す。待ってー、待てっ。動き出したタクシーの後ろの扉をバンバン、と叩く。転びそうになる。あぶない。でもタクシーは止まった。そして空車だった! ありがとう、ほんとうにありがとう、どこかの神様。

 よかった。びしょぬれ状態で「Gracias グラシャス(ありがとう)」を繰り返しながら乗りこみ、後部座席からサロン・カニングのアドレスが書いてある紙を運転手さんに差し出す。「Por favor! ポルファヴォール!(おねがいしますー)」を、これまた何度も言い、あとはもう日本語。「急いでいるの。とにかく急いでください!」

 23時になろうとしていた。

 目覚めてから10数分間、

(1)「ここはブエノス。日本と違うもの。23時スタートが23時に始まるはずがないわよ、ブエノスタイムよ」

(2)「でも、今夜に限って、たまたま予定通りに始まってしまうかもしれない」

(1)と(2)を何度繰り返したことか。

 

 それにしてもタクシー、方向反対じゃないの? 歩いても行ける距離なのに、なんでこんなに時間がかかっているの?

 私は身を乗り出して、運転手さんに言う。

「サロン・カニングですよ、こっちでしたっけ? あっちじゃなかった?」(ジェスチャーと日本語)

 運転手さんもジェスチャーとスペイン語で返す。たぶん、「車だと、こういう道順でしか行けないんだよ」と。

 どうしよう。違うところに連れていかれちゃったら、また時間がかかっちゃう。

 疑心暗鬼な私は「カニング、カニング」を繰り返す。運転手さんは、そのたびに、うんうん、と「わかっているって」みたいなかんじでうなずくだけ。

 しだいに心配になってくる。

 この人が悪い人だったらどうしよう。暗いから私のことよく見えなくて、かわいい女の子とか思っていたらどうしよう、年齢を言おうかな、でも50代マニアだったら逆効果だわ……どうしよう……

 とりあえず、一番低い声で、どすをきかせるイメージで、「カニングよ、カニング、タンゴ、ミロンガ」としつこく、嫌な女っぽく、を心がけながら言い続ける。

 どうしよう、これ以上、違うと思われる方向に連れていかれたら。ここで止めて、って言って、ほかのタクシーに乗り換えよう。でもその人も悪い人だったらどうしよう。治安はけっしてよくないというブエノスアイレス……。

 日本にいるころから何度も言われていた、先生の言葉が耳元でこだまする。……路子さん、ぜったいひとりで行動しないでくださいよ……あぶないですからね……ひとりで出歩かないでくださいよ……

 ひとりきりの深夜。乗ったタクシーが安全かどうかもわからない。えーん、こわいよう。

 身も心も、はちゃめちゃ。

 ……と、ようやくタクシーが止まった。

 あそこだよ、と運転手さんが車道の反対側を指をさす。たしかにカニングがあった。

「グラシャス! ムーチャス(すっごく)・グラッシャーーース(ありがとー)!」ついでに、とびきり可愛く、を意識して、「ChauChauチャウチャウ~(ばいばい)」まで加えて、チップをはずんでタクシーを降りた。

 傘をさし、右左を確認して、このタイミングで行けそう、と広い通りを横切る。転ばないように注意深く。ここで転んだら「雨のなか車道を横切り、転び、車に轢かれてぺちゃんこになった日本人女性(52歳)。ブエノスアイレス」という報道になってしまう。

 濡れ濡れの傘をたたんでカニングの扉を開けると、そこにお友だち数人の姿があった。

 心細さ限界の私にとって、彼らの姿は、なんて神々しく輝いて見えたことだろう。

 ほんと、安堵のため泣き崩れそうになったわよ。

 聞けば、ディナー後、みんなもタクシーがなかなかつかまらなかったりして遅れているとのこと。そして演奏はまだ始まる気配がないと。

 えーん。よかったああああ。ほんとにほんとに、よかったあああああ。

 ブエノスタイム・ラブ。

***

 安堵すると、とたんに、今度は「身なり」が気になってきた。ルージュは適当だけどつけたとはいえ、ファンデーションとかアイメイクまでは無理だった。こんな姿をみんなにさらすことになるなんて。

 身体にはボディソープが残っているし。そういえば香水をつけるのも忘れてる。せっけんの香りのする女、という似合わないのだけは避けなくてはならない。

 まずは化粧室に行かなくちゃ。

 化粧室にゆき、鏡を見て、絶望する。なんというひどい姿。

 「あえて無造作」を超越している髪。ファンデーションなしの顔は、なにも隠してくれていなくて……手足だってボディクリームをつけていないどころかボディシャンプーが残っている。

 もってきていた香水、シャネルの「ガブリエル」をつける。

 しかし、それにしてもひどい姿だわ。

 でも、でも、でも。会場はもっと暗いからだいじょうぶよ。自分が気にするほどに他人は気にしないものよ。気にしているのは自意識過剰な私だけ。……いいえ、ちがうちがう、ノンノン、問題はそこじゃない。自分が納得しないのが私はいちばん嫌なのよっ。

 鏡に向かってひとりでキレる。

 自分のなかの精一杯で、きれいにする。それが大好きなバンド、タンゴバルドへの礼儀だと思っていたのに。

 

 私、身なりは、そのひとの生き方そのもの、人生哲学そのものをあらわす、と思っている。それは、会う人、行く場への敬意の表明にもつながる。そう考えている。

 ファッションデザイナーの山本耀司は

「一着の服装をするということは、社会に対する自分の意識を表現すること」

と言っている。

(興味ある方はこちらを。ずいぶん前の記事ですけれど)

 

 なのに。なのに。

 どうして、こんなにあわれな姿で。

 わたくしとしたことが。なんたる失態。私のばかばかばか。

 ごめんなさいタンゴバルド……。こんな私を許して。

 ***

 ……と、こんな、私にとっては一生の不覚的な事件ではあっても、私以外の人にとってはどうでもいい話、タンゴに関係のない話を、なぜ長々と書いたかといえば、自分でも驚いていたからだ。

「私、ほんとうに、タンゴバルドを聴きに行きたいんだな、タンゴバルドで踊りたいんだな」ってことに。「ほんとうに好きなんだな」ってことに。

 だって、それほどの想いがなかったら、諦めていたもの。あのときの身体が動かない、おそろしい疲れの状態&時間がないという状況で、それほどの想いがなかったら、諦めていたもの。

 帰国して、このときのことを親友に話したときの反応はこれ。「あなたがそんな状態で行くなんて、よっぽど好きなんだね、びっくり」。

 

 さて。

 みんなもそろって、席に着き、「ちょっと寝過ごしてしまいまして、乱れ気味ですけれど、ほほほ」とかなんとか言いながら赤ワインを飲む。バルドの演奏はぜーんぜん、ぜーんぜん、始まる気配がない。

 雨に濡れていたこともあり、素足のこともあり、寒くてがたがた震えてきた。

 そんな私を、お友だちが誘ってくれる。フロアに出る。

 踊り始めると、瞬間、いろんなことがどうでもよくなる。身体に残っているはずのボディソープのことも、どうでもよくなる。でも脚がよく動かない。身体もよく動かない。彼はそんな私を抱き上げるようにして踊ってくれた。

 ほかのお友だちとも踊った。だんだん身体が動き始める。

 私、たぶん、このときくらいから、誰か見知らぬ人に誘われたい、と思わなくなってきていた。そのことはまたあとで書く。

 そして、たぶん、0時すぎころ、タンゴバルドの演奏が始まった。

 そして、一曲目の出だしから私は、からだの真ん中を撃ち抜かれた。

(<7>につづく)

(2018.10.24)

-◎Tango, 私のブエノスアイレス〜タンゴ紀行〜