■■毬谷友子とジョナス・メカス■■
2016/06/27
ずいぶん前、10月20日、木曜日の夜、ひとりでゲートシティ大崎アトリウムに向かった。
毬谷友子のコンサート。
「はじめてのフリーコンサート」だという。出入り自由、観覧無料の空間での、弾き語り。ランチタイムと、夜の2回公演。
このお知らせをいただいたとき、私は驚いた。フリースペースで彼女がやるの? と。
そ
れでもあのシャンソンを聴けるなら絶対行く、と出かけた。
地下一階のそのスペースは吹き抜けになっていて、近くにはファーストフード店があり、幼い子どもを連れたひとたち、イヤホンと携帯電話で自分の世界に入り込んでいるひとたちがいて、二階と地階をむすぶエスカレーターには仕事帰りの人たちの姿が行き来していた。
ほんとは嫌なんじゃないかな、なにかのお付き合いがあって、出演することになったんじゃないかな。私だったら、こういうところでなにかしゃべろ、って言われたら絶対無理!
そんなことを思いながら一番前の席に座った。
私は講演会や映画、ライブなどでもたいていは一番後ろに座る。
けれど、今回ばかりは、周囲の雑音を耳にするのは耐え難い。
やがて毬谷友子が登場した。瞬間、その場の空気がパリ色になった。
眼をみはりたくなるような真紅と、眼がすいこまれるような漆黒、ふたつの色だけを身にまとって、彼女がそこにいた。
私は、ああ、こういうひとが女優というにふさわしいんだ、と思った。
特別なのだ。
となりにいそうな親近感がいいとか、かざらないところがいい、なんていうのは嫌い。
特別じゃないと私は嫌。(それにしてもパーフェクトなまでに美しい衣装だった! すばらしいセンス!)
そうしてコンサートが始まった。
どんなに周囲が動いても私だけは動かない。
そんな意志で臨んだ。いちいち大げさなのはあいかわらず、と自分でつっこみながら。
「アコーディオン弾き」の直前、目があったとき、彼女に私の意志が伝わっただろうか。
一時間の見事な舞台だった。
途中、彼女は言った。震災後、熱心に活動を続ける彼女は言った。自殺が増える一方の日本に住む彼女は言った。
このような空間で、私の歌を聴きにきたのではなく、なんとなく通りすがっただけでも、私の歌の、なんらかのフレーズで、心が動いて、たとえば死を思いとどまろうとか、そんなふうに思っていただけたら、私がここにある意義がある、と。
てらうことなく、逃げることなく、声を震わせて言った。
私はそのとき、ジョナス・メカスの言葉を思い出した。
巨大な組織によって生み出された戦争、苦難、環境破壊、精神の荒廃に喘ぐ今の世界を救えるものがもし、あるとするならば、それはなんだろう、と自問して、ジョナス・メカスは次のように言っている。
「それはひとりの人間の、個人的な他人に気付かれることもない、内面の活動、小さな個々の努力、そうして成し遂げられる仕事である」
そうなんだ。
いま、ここでまさに毬谷友子がしていること、それが大崎のビルのパブリックスペースで、周囲を急ぎ足で行き交うひとがいる、このような場であっても、全身全霊で伝えたいことを伝えようとする、ひとりの人間の活動。
こういうことがたぶん、もっとも重要なことなんだ。
泣けてきた夜だった。
こんなにも、ひとりの人間の心をふるわせて、人生における重要なことを想わせてくれて、存在意義、じゅうぶんです。
と、受け手になると思えるのに、発信する側としてはそう思えないのは欲深さのせい? それとも単なる馬鹿?
有名になり、飛ぶように本が売れて、その本が翌日には飛ぶように中古として売られて、忙しくなって、百パーセントの力ではないものが世に出て、そういうことを自分は望んでいないのに、ほんとうに届けたい人のもとに届けたい、というのが本音なのに。
それなのに、ときどき、落ち込むのは、もういいかげんやめにしたい。もちろん数が多ければ、「その可能性」が増えるということはあるけれど。
でもやっぱり自分だけは誤魔化せないから、いかに自分が満足できる仕事をするか。
大崎のビルを出て、オフィスの匂いのする人々の群れにまざって駅に向かいながら、ぐるぐるといろんなことを考えた。
ジョナス・メカスはこんなことも言っている。
「地球全体が腐敗と放射能の霧に包まれても、そこに詩がある限り人間に対する希望は存続する。
これは愚者の願い、こんにちの思想である。わたしは愚か者だ。」
……私も、詩を創り続けなければ。
絵はワッツの「希望」。
☆久しぶりにブログを更新したら、何人かの方からメールをいただきました。みなさん共通していることは、死んじゃったんじゃないかと心配だったけれど見守るしかないから、ただ、更新を待っていた、ということ。昨夜はとても幸福な気持ちで眠りにつけました。ありがとうございます。