ブログ「言葉美術館」

■■美しい不協和音■■

2016/06/11

111229_1618012011年という年は、私にとっておそらく45年の人生のなかでもっとも激しく感情が揺れ動いた一年だった。

悪夢と思いたい天災人災と重なったことも大きい。

仕事もプライベートも言い訳めいたことならいくらでも書けるけれど、とにもかくにもこの一年を生き抜けたことに安堵する。

一年の終わりになって知り合った魅力的な女性のかわいらしい口から興味深い言葉を聞いた。

彼女は私のブログを読んで、とてもシンパシーを感じる、とおっしゃった。

私は驚いて「えっ。どんなところが?!」と訊ねた。だって、彼女は、とても健全でピュアな世界に身を置いているのだと感じていたから。

身を乗り出して答えを待つ私からちょっと身体をひきながら(こわかったのかな)、彼女はしばらく考えて、「不協和音が聴こえるんです」とおっしゃった。

それからいろいろとヨーロッパの芸術が大きく動く時代について、前衛と言われる芸術ついて語って、「不協和音」の説明をしてくださった(けっしてマイナスの意味ではないと)のだけれど、私の頭のなかはもう、「不協和音!」がこだましているだけ。

これって、喜ぶべきことなのかどうか、一般的なことはわからないけれど、私は満たされた想いを胸に抱いていた。

不協和音はけっして醜いものではなく、人生に必要な不協和音だってあると思うし、それがあるべきときにあるべき場所に存在するなら、きっと美しくさえあると考えるから。

それにしても、彼女が私のなかの「不協和音」にシンパシーを抱くだなんて、ほんとうに人間というのは、いろんなものを抱えて、それを外に出さないで懸命に生きている存在なんだなあ、と胸が熱くなった。

これからパソコンのない環境へゆくので、今年最後のダイアリー。

写真を何にしようか考えたけれど、このTシャツが、自分でデザインし、言葉をつむいだ作品がこの一年を象徴しているように思える。

45歳の私の2011年が、すぐに折れそうなくせにめちゃくちゃ切れるナイフを、めくらめっぽうに振り回して周囲の人たちを脅かし傷つけた一年だったとしても、生きている限り私は、それをできるかぎりのエナジーで、美に変容させたい。

それが私を支えてくれる人たちへの愛だと、信じたい。

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