ブログ「言葉美術館」

◼️記念日

 

 

 2019年2月17日は娘の20歳の誕生日だった。

 私は愛するひとの誕生日をとてもたいせつにしていて、その日は忙しいからその週の週末にね、というのは嫌い。30分でもいいからお誕生日を、その日にお祝いしたい、ずっとそうしてきた。

 ところが、20歳という、いちおう節目の年だというのに、彼女は遠い異国にいた。

 短期留学を決めて、大学の春休みとなるとその期間しかないから、誕生日は一緒じゃないけどねー、いいよねーと言いながら、行ってしまった。

 私は彼女の誕生日に、毎年そうしているように花を買った。お隣のお花屋さんで、季節の花、フリージアを勧められて、黄色いフリージアを中心に花を選んで、カードを書いて、それを写真に撮って娘に送った。

 彼女の誕生日は彼女の誕生日でもあるけれど、私に最高の生が与えられた日でもある。

 私の人生はもう、ダメダメ続きだったかもしれないけど、唯一、これだけはと思えることは、娘を産んだことだろう。

 誕生日から数日して、彼と会い、この20年間という時間に想いを馳せた。

 どんな映像が浮かぶ?

 

 彼が話したエピソード、幸せ色のが圧倒的に多かったけれども、そのなかで強く残ったのは。

 覚えてる? まだ小学校の低学年だったと思うけど、彼女が熱中症で車の中で吐いてしまって、そのとき、彼女は「ごめんね」って言ったんだよ。車を汚してしまってごめんね、って。そう言って、彼は言葉を詰まらせた。

 私は、ひどく似た香りのエピソードを彼の母から聞いていた。ふたりは似ている、とあらためて思った。

 私はもちろん幸せな映像もたくさん浮かぶけれど、そして、それはいつも軽井沢ハウスのキッチンから、リビングで遊ぶふたりを見ている映像なんだけど、心の奥に張りついて絶対に剥がれない映像があって、あれもおそらく娘が小学校低学年のこと。

 その日、家には私と娘ふたりだけだった。二階の娘の部屋を片付けよう、みたいなことになって、何が原因だったか私がキレた。おそらく些細なこと。もういや、と思ったことは覚えている。

 それから、私は家を出た。家を出るふりをした。裏庭に行って、煙草を吸っていた。一本吸ったら少し落ち着いて、慌てて二階に戻った。娘はいなかった。パニックになって、家の外に出た。いない。どうしよう。からだじゅうが不安で波立つような感覚のなか、玄関の外でどうしようもなくうろうろしていると、いつもの砂利道に娘の姿が見えた。

 剥がれおちないのは、そのときの映像だ。

 小さい彼女は、口をぎゅっと結んで、下を向き、力強い足取りで家に向かっていた。

 泣くでもなく、ひたすら何かを決意しているような表情。

 私は、彼女に駆け寄って、ごめんね、と言った。

 ママがおうちからいなくなっちゃったと思った。道路まで出たけどいなかったから。おうちに帰って、パパに電話しなきゃ、と思った。

 その後も、涙は見せなかったと思う。

 あのときの彼女の強さ、私の弱さ、そして激しい後悔。自己嫌悪。

 

 もちろん、ほかにもあげればきりがないほどに、似たエピソードはある。威張ることではないけれど、ほんとうに私はダメな母親だった。

 それなのに、彼女は20歳の誕生日を迎えて、私が驚くほどに、私にとって魅力的な人になっている。

 私は彼に言った。坂口安吾は正しいね。親がいても子は育つ、ってね。

 イレギュラーな形の家族、それを受け入れてくれてね。

 

 8年前のちょうどいま頃、ごめんね、このようにしかできないの。と彼女に伝えたとき、彼女は言った。それがママの幸せならいいよ、って。軽井沢東部小学校6年生の終わりのことだった。

 思い起こせば、授乳していたこと、保育園に預けるときの異様なほどの私に対する執着、軽井沢に移住してからの保育園、小学校の運動会、学芸会、保護者会、授業参観、入学式卒業式、東京に戻ってからの中学生時代、もっとも深刻だったあの時期、中学高校の行事、お弁当クラブの日々。

 ほんとに私、それをしていたのだろうか? もう前世のことのようだ。

 

 中学生くらいから、私はとにかく、存在自体が害悪である私という人間のマイナスのエナジーを彼女に与えないように、心がけていたように思う。

 私自身が暗黒時代だったから、それは正しかったと思っている。

 その後、娘は高校に進み、極端な進路変更をし、変身して受験に没頭、希望していた大学に入学。

 娘が変身したのとほぼ時期を同じくして、私はタンゴに出会った。

 私がタンゴに出会えたことを、いちばん喜ばしく思っているのは娘かもしれない。
 健康的になったね、元気になったね、楽しそうだね、お友だちができてよかったね……

 毎年年末には家族でカードの交換をすることが恒例になっている。

 昨年末、娘からのカードには、タンゴとかスペイン語とか新しいものに夢中になりながらも自分の軸を失わないママはクールだよ、って言葉があった。

 あとでひとりで泣いた。

 普段、そんなことを言わないから、というより、私に対してはつねに辛口な娘からのその言葉がどれほど嬉しかったか。

 そして、いま深く思う。こんな勝手な生き方を選んだ私を受け入れてくれた家族にどんなに感謝しているか、物書きとしては失格だけど、言葉ではとうてい、表現できない、って。

 ありがとう。

 

    それしかない。

 

    今日はひな祭り。

    2019年3月3日。

    ほかの日と同じ。唯一無二のいちにち。

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