◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ

■バンコク(のホテル)滞在記*3

2023/09/10

 

■Trust me.

 バンコクのはじめてのミロンガ。

 9時過ぎから人々が集まり、踊り始めた。

 全部で20名弱かな。多国籍なかんじ。年齢層も幅広い。

 誰にも誘われなくても泣かない。って決意していたけれど、みなさん優しくて、誘ってくださる。

 ひとり、いろんな人から「彼はすっごく上手なんだよ、踊るといいよ」と言われていた方がいらした。そういう前情報があると緊張する。

 ミロンガが流れ始める。私はミロンガ好きなんだけど、踊るのは苦手で、日本でもほとんど踊らない。私を知る人はだから、ミロンガのときには私を誘わない。ゆいいつ、たけし先生とだけ、私はミロンガを踊る。先生とだと、「私、やっぱりだめだわ」って思わないから。

 だから、一度目のミロンガが流れたときは化粧室に行った。

 二度目は、うつむいてワインを飲んでいた。それなのに、目の前に人の気配が。顔をあげると、よりによって、「すっごく上手なんだよ」の男性。

「タンゴかワルツのときに踊ってくださいー」と懇願する。 

 けれど彼はかるーく私の言葉を流す。

「ミロンガは楽しいよ、楽しく踊ればいいだけ、はい、立って」

 なんてカジュアルなところなのでしょう。

 そして彼は私の手をとって踊り始める前に言った。

 「Trust me」僕を信頼して。

 私は、その通りにして踊った。

 びっくり。楽しかったから。

 初体験ステップがたくさん、でも、できる。いや、できていないかもしれない、でも、できる、と彼は私に「思わせた」。これって重要。

 踊り終わって、にこにこしている私に彼は得意そうに言った。

「ね? 楽しかったでしょう?」

 私はにこにことうなずく。自信あるのね、ってちらりと思う。それはけっして悪いことではない。

 にこにことうなずいた私に彼が尋ねる。

 「タンゴ始めてどのくらい?」

 私が答える前に、「2年くらい?」と当てられる。

 厳密には、はじめて踊った日から数えれば2年半を越しているけれど、最初は月に1、2回くらいしかしてないもんねえ、とズルをしている。

 

■タンゴ始めてどのくらい?

 

 「タンゴ始めてどのくらい?」

 この質問は、ほとんどの人から受けた。

 そのたびに、みんな同じような反応をした。私が答える前に「2年くらい?」って言う。

 ってことはさ。

 タンゴ歴2年、って踊りをしているってことね。

 それがいいのか悪いのかさえ私には理解できない。

 なぜなら、年数ではないと思っているから。

 毎日タンゴを必死でレッスンしている2年と、私みたいになまけものの2年って、ぜんぜん違うと思うんだけどなあ。

 「タンゴと恋におちてから何年ですか?」

  なら抵抗がないんだけど。

 「タンゴ始めて何年?」となると、身体の動かし方ばかりのほうに重点が置かれている気がして抵抗感満載。

 それは「筋トレ、毎日するようになって何年?」という質問と酷似している気がする

 

■出逢い、だったと思う

 

 何人と踊っただろう。7人くらい?

 もう誰がどこの国のひとだか、わからないけど、ラスト1時間くらいのときかな、背が高くがっしりとした体躯の男性から誘われた。

 踊り始めて、瞬間、なにかが私たちの間を流れた。……と私は感じた。

 いま考えてみるに、彼のタンゴは私のタンゴと似ていたのだと思う。

 たいせつにしているものが似ている、という。

 彼は刹那のこのときを、「私」と過ごすことを、愛していた。

 彼は、「私と」踊っていた。

 「私」をリードし、「私」と音楽を聴き、「私」に「私を表現する自由」を与えた。

 ……「私」を連発したが、これ、踊る相手、パートナー、という意味ね。

 

 1曲が終わっても私たちは身体を離さない。そのまま次の曲を踊る。

 ……陶酔の1タンダが終わった。

 ぼー。

 彼にエスコートされてソファに戻る。

 あ。これはたいていの男性がしてくれていた。踊り終わったあと、席までエスコート。日本でこれをしてくれる人は少ない。

 ソファに戻っても、ぼー。

 もいっかい、踊りたいなあ。

 ぼー。

 それから何人かと踊って、そのときは、そのひとに集中するけれど、ソファに戻ると、「もいっかい、踊りたいなあ」がよみがえる。

 彼はどうやらクラシックなのが好きみたい。

 そうじゃない曲のときはソファに深く座って動かないもん。

 そして、何の曲だったか、すっかり忘れたけど、彼が私のほうを見た。

 わーい。

 ぴょん、と立ち上がる私。

 ……ああ。いつから大人のかけひきができない女になってしまったのか。

 だって、嬉しかったんだもん。

 そして2度目は1度目よりさらによかった。

 ふたりのタンゴが深まった。……と私は感じた。

 彼のリードは甘やかで、あれこれいろんなステップをしないけれど、色彩が豊かだった。情感があった。

 

 エスコートされてソファに戻って、そうしたら彼が隣に座って、少しおしゃべりした。

 国の名前を出すと、特定されてしまうから内緒にしておくけど、彼はヨーロッパのある国の人で、出張でバンコクに来ていて、火曜日に帰国予定。

「明日、レンブラントホテルでミロンガあるから、ぜひ」

 と誘ってくれる。

 レンブラントホテルでのミロンガ情報は、ちょっと前に知っていた。

 日本人のペアの方がいらしていて、バンコクのミロンガについて教えてくれたからだ。

 そう。彼らは私にとても親切にしてくれた。

 彼らが言うには、いまはバンコクはオフシーズンだから、観光客が少なく、したがってミロンガも人が少ない。たいてい同じメンバーが集まることになる。メインは金曜日のこのドリームホテルと土曜日のレンブラントホテルのミロンガ。東京みたいに、たくさんはないの。

 ふたりにレンブラントホテル情報を聞いて私は尋ねた。

「行きたいけれど、レンブラントホテルって、ここから遠いですか?」

「ぷらぷら歩いて来たらどうでしょう? 20分くらいだから」と丁寧に道順を教えてくれる。

「でも、ミロンガは8時スタートですよね。夜ひとりで歩いても大丈夫ですか?」

「ふつうに気をつけていれば大丈夫!」

「じゃあ、行きます」

 そんな会話をしていたのだ。

 

 だから、誘ってくれた彼にも「明日、レンブラントホテルで」と応えた。

 DJが「ラストタンダですー」と告げている。

 私は彼との余韻をたいせつにしたかったのと、何人かから、終わったあと飲まない? って誘われていたので、ラストタンダの曲が始まったときに、ミロンガ会場をあとにした。

 タンゴはタンゴで完結する。

 その前後の時間を、私は好まない。むしろ、前後の時間をともにすることで、タンゴが色褪せるケースも少なくはないから。

 

 

 ホテルの部屋に戻って余韻に浸る。

 楽しかったな。タンゴを始めたばかりだという高齢の男性と踊ったのも、あたたかなかんじだったし。

 それに、ステップばんばんのひともいたな。何かしたいんだろうけど、どうにしたらいいのかわからなくて、でも何かのひょうしに、彼が求めていることをしたみたいで、そのとき彼は言った「3回めのトライで成功!」。私は思わず笑ってしまったけれど。あれはスポーツに近かったな。

 欧米のひとは女を喜ばせるのが上手。「Beautiful」という言葉を短時間でたくさん浴びて、すっかりよい気分。単純。いいの、お世辞だってなんだって、嬉しいものは嬉しいんだから。

 もうひとつたくさん浴びた言葉が「Passion」。

 私はたしかに満たされていた。

 

■(私にとっての)タンゴとは何か。

 

 今回のひとり旅の目的というか、書こうとしてる物語のテーマのひとつに「タンゴとは何か」があった。

 バンコクでタンゴを踊るとは予想していなかったけれど、思いがけずミロンガに行くことができて、そして、私はこの夜のミロンガで、物語のテーマのひとつの、……何かその片鱗みたいなのを手にした気がした。

 もちろん、私にとってのタンゴとは何か、ということなんだけど。

 その夜に思ったのは。

 タンゴってふたりで踊るもの。

 ふたりだけで完結するもの。

 それは3分間で充分、と思うようなものでなければ、私はいらない、ということ。

 場所やほかに誰がいるかなどは、私にとっては重要ではない、ということ。

 そして、私は「タンゴじゃなくちゃダメ」っていうひとが好きなのだということ。

 その夜のミロンガを眺めていても、つくづく感じたし、そして、日本のミロンガでも感じていることだけど、ふた種類があるなあ、って思う。

 ダンス、踊ることが好きで、タンゴはそのうちのひとつ、というひと。

 タンゴ以外はダメ、っていうひと。

 私はもちろん50年間「踊らないひと」だったわけだから、後者、タンゴ以外はダメ、なんだけど、だから、きっとそう(私と同じ)なんだろうなあ、というひとにシンパシーを抱く。

 

 夜は相変わらず苦手で、しかも異国でひとり、キングサイズのベッド。

 ひゅう。←さびしさという名の風の音

 眠ることに四苦八苦、恐怖心とともに夜を迎えていたけれど、この夜だけは、苦労少なく眠れた。

 

 明日はレンブラントホテルのミロンガ。

 はじめての外出。

 どきどき。そして、ときめいてもいる。

(4につづく)

-◎Tango, アルゼンチンタンゴ, ブログ「言葉美術館」, 私のタンゴライフ