ブログ「言葉美術館」

■■海からの贈物、彼女の思考のスタイル■■

2016/06/11

Wmiいま、とりかかっている本で、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』から一部、言葉を引用したらそのままはまってしまった。久しぶりの本、でも読むのは5度目くらい。

アンは、飛行士のリンドバーグのおくさんで5人の子どももいて、自分自身も飛行士で作家でもある。そんな彼女が自分自身をみつめなおすために、一週間、家族から離れて海辺でひとりきりで過ごした。

そしてさまざまなことについて考えをめぐらせて、一冊の本ができた。

それが時をこえて私を感動させる『海からの贈物』。

アンが49歳のときだった。

私はそのときのアンの年齢に近づいている。

だからかな、今回は年齢についての部分にひきよせられた。

アンは「40から50にかけての時代」を多くの人が誤解しているという。

みんなこの年齢にあらわれる徴候を悲劇的にとらえている、それは違うのに。

どんな徴候か? たとえば、不満、焦燥、疑惑、絶望、憧れ、などなど。

よく考えてみて。

これらは、若いとき、青春期の「成長の徴候」と似ていない?

いいえ、同じじゃない?

なのにどうしてみんなこの徴候が40をすぎてあらわれると「成長の徴候」ととらえないの?

「衰弱の徴候」なんてとらえるの?

 そして、精神的な沈滞、神経衰弱、酒、恋愛、度外れに激しい仕事、などに「逃げ道」を求めようとするの?

違う違う。

生きて行く上での或る新しい段階」がきたの。

そう、「それまでの活動的な生活に伴う苦労や、世俗的な野心や、物質上の邪魔の多くから解放されて、自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」。

これは自分の精神、心、才能の成長ということを意味するの。

……ほんとうにそうだな。

ただ、同じ徴候があらわれても、青春期と違うところは、その出所というか、モトが、なんとなくわかっちゃうところかな。

それがつらい。

でも、アンのいう、「自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」には、考えさせられる。

私が今まで無視し続けた面、ってなんだろう?

今夜はオードリーの本の出版記念のイベント。

一緒に本を作っている編集者さんたちと、いつも私のことを気にかけてくださっている方々と、しずかにたのしくエレガントに時間を過ごしたい。

一冊の本が生まれるということについて、昨夜は考えを泳がせた。

そしてあんまり卑屈になるのはやめようと思って、眠りについた。

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