■■恋よりも幸せなこと■■
2016/06/11
佐野元春がナビゲーターをつとめる番組を偶然に観た。
最初のほうで、その番組の趣旨みたいなものが流れて、ソングライターは現代の詩人だ、みたいなことを言っていて、「言葉」にフォーカスしているところに興味をもった。
それで、私が観た日のゲストがなかにし礼だった。
なかにし礼は作家としても知られていて、小説は読んでいないけれど、エッセイ『恋愛100の法則』は何度も読んだ。
そこからあらわれるなかにし礼という人は、強烈に恋愛体質の男だった。
ふたりのトークにはかなりひきこまれた。
身体が前のめりになるかんじ。
途中、いくつかの定型質問のなかで、もっとも幸せを感じることは?(楽しいことは?だったかな)があり、なかにし礼は即座に「恋」と答えた。
彼はもう70代半ば、聴衆は学生さんだったから、きっと、その答えを聞いたとき、彼らは、なかにし礼の「過去のもの」としてその答えを受け取ったかもしれなかった。
けれど、私にはわかる。
なかにし礼は、現在の自分のものとして答えたのだ。彼はいまでもきっと、恋に溺れる。
さ
て、「恋」という答えを聞いた直後、佐野元春は質問を重ねた。
「いいものを創ったときとどちらが幸せですか?」
なかにし礼は即答した。
「いいものを創ったとき」。
そのときの彼の表情を見た瞬間、突然に胸をつかれてしまった。
そこには創作者の孤独があった。
(セリフはすべて私の記憶によるものなので、多少違っていると思う)
そんなわけで『恋愛100の法則』を読み返した。
「不倫」というタイトルのなかから、一部紹介。
「そう、人間には情熱というものがあり、それは時々ある対象をみつけて燃えあがらないではいられない。大抵の場合不倫という恋をする。
遅すぎた恋、ままならぬ恋、一緒に暮らせない恋、許されない恋、人の道に背き、つらく苦しく、胸かきむしる恋。嫉妬にもだえ、絶望に身を焼く恋。(略)
がしかし、いかに真剣だったとしても、この二人が結婚でもして一緒に暮らしたりすれば、退屈な日常生活が始まり、愛は確かに育っていくかもしれないが、やはり人間はそれだけでは満足はできず、行き場を失った情熱は「恋がしたい、恋がしたい」とわがままを言いだすのである。
これは仕方のないことなのだ。
人間に情熱というものがあるかぎり。
男も女も。」
「倫」を「明鏡国語辞典」で調べてみた。
「人としてふみおこなうべき道」とあった。
以前は「不倫」という言葉にすごく抵抗していた。
恋愛そのものが狂気なんだから「人のみち」とか「道徳」とか「倫理」なんてないでしょう、なんで「不倫」になるわけ?
というかんじの反発だった。
今は、ずいぶん抵抗がなくなった。
不倫は不倫。
契約としての結婚という制度がある社会に住む限り、不倫はグリコのおまけみたいに、もれなくついてくるもの。
日本中のひとに、「いま、恋愛中のひと!」って手をあげてもらって、そのなかで「いわゆる不倫をしているひと!」ってさらに手を上げてもらったら、何パーセントくらいになるのだろうか。
かなりの数になるのではないかと私は思っている。
みんな大なり小なり苦しんでいる。
恋愛しない退屈よりも恋愛で苦しむほうを選んだひとたち。
幸せを感じる瞬間が多く訪れますように。
そんなふうに誰かにいのりたくなる、けだるさが残る金曜日。