ブログ「言葉美術館」

■■リエゾンの毬谷友子■■

2016/06/11

Fba3c13afd105a5a08a89cd251e7ff07わりとよい感じで生活ができている状態の、ある平日の夜。

渋谷のぬるい空気と動物臭のなかを歩いて、「Liaison(リエゾン)」に出かけた。

リエゾン、いい名前だなあ、と最初に訪れた一昨年、そんなふうに思ったお店。

書棚にはオーナーさんである殿方の蔵書があり、エリュアールとかサガンとか「香水」とか「マリリン・モンロー論考」とか、ありえないほどに自分の書棚と似ていてびっくりしたこともよく覚えている。

そんなお店で、大好きな毬谷友子のシャンソンが聴ける。

とても親密な空間で、私の大好きな歌が聴けるなんて、人生の幸せの瞬間を思う。

「毬谷の部屋 vol.5」。

あらためて、、私は毬谷友子という女優が好きだと思った。歌を1曲歌う。そんなんじゃない。彼女は、一曲を演じている。軽妙でおちゃめな自虐トークのあと、曲名を言い、前奏が始まる。瞬間、彼女はいなくなる。毬谷友子はいなくなって、あるときはパリの人ごみのなかで男の背を追う女になったり、あるときは、名誉より何より命を大切になさい、と説く女神になったりする。役になりきる瞬間の表情、たたずまいには、いつもいつも、ぞくり、とする。

帰り道、いつもはタクシーに乗っちゃうけれど、余韻を大切にしたくて、ふらふらと街を歩いて、帰った。

なにがこんなに満たされているんだろう、と考えた。なにがこんなに私を泣かせるのだろう、と思った。

きっと、それは好きな人がいるという、そのことが私は嬉しいのだと思った。その人が歌うと言えば、できるだけ歌を聴きにいき、お芝居があれば観に行く。そういう人がいるということが、ひねくれた私にはどんなに希少なことか!

恋愛だってそうだよね。好かれる、愛される幸せもあるけれど、好きでいられることの幸せ、愛する人がいることの幸せも、あるよね。つよく、そう思う。

玄関を開けると、娘が「楽しかった?」と聞いてきた。私はうなずいて、「まだ余韻が……お話はもうちょっと待って」と言った。それから、天然石のブレスレットをプレゼントした。毬谷友子さん(←この場合はさんをつけないとなんだか不自然に)が想いをこめてつくられたもので。綺麗な色だったから娘のために選んだ。

ちなみに前回は自分用に黒と透明なものを買った。

そう……。

前回のとき、深い海の底もぐり状態(最悪におちこんでいた)でリエゾンに行って、お隣に座ったかわいらしい女の子も、どん底状態で、連絡先を交換して、今回再会できたことも嬉しかった。彼女は私の著作ほとんどすべてと、ブログ、そのほかの記事を全部吸収していて、私よりも私の過去に詳しかった!すごい奇特な方だ。

4月に南青山のMANDALAでライヴがあるというお知らせは嬉しかった!もういまから、こんなに楽しみ。

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