■■「読みました」と朝日新聞■■
2016/06/09
三日前に、聡明なお友だちから思いがけない言葉をもらった。
「美男子美術館読みました。面白かったあ、です」。
私は彼女の言葉に強く反応して、テーブルに身を乗り出した。
そして言った。
「はじめての人! 私の身内で本を読んでくれて感想をくれたのは、あなたがはじめて! 嬉しい。ありがとう」。
うそみたいに胸にこみあげるものがあった。
やっぱり、本は私の命だから、生きている意味みたいなものだから、その時代の自分自身が刻印されたものだから。
さまざまなタイミングがあるのだろう。今回の本はなぜか家族を含む近しい人からの「読んだよ」が、ない。
みんな忙しいからね。
それに、私のために生きているわけじゃないからね。
わかってはいても、けれど、そのお友だちの言葉はほんとうに奇跡のように胸に響いた。
担当編集者さん以外のひとからもらったはじめての感想だったから。
そして彼女の細かな感想には「理解」があって、私はなんてそれに渇望していることかと気づかされた。
昨日、母からメールが届いた。
「今朝の朝日新聞に大きく載っていて、興奮しました。すごいね」と。
夕刻だったけど、近くのコンビニエンスストアまで買いに出かけた。
一枚ぱらっとめくったところに、それはあった。
こんなに大きく掲載してくださって、出版社さんに感謝する。
そして、母のメールをもう一度見る。三人のきょうだいのなかで、一番心配をかけつづけている長女だけれど、少しは親孝行できたかなあ。
新聞のコピーはこんなかんじ。
「なぜピカソは、まったく似ていない自画像を描いたのか」
「絵画には、豊かな物語世界がある! キリストに託したミケランジェロの願い、
夫に対するフリーダ・カーロの想いとは。“読む美術館”へようこそ。」
読む美術館。とてもよく、この本をあらわしている言葉だなあ、と感じ入った。