■死ぬまでをいかに美しく■
2016/06/09
書棚から取り出して、なんとなく再読し始めた、好きな作家二人の対談集。
対談集に面白いものはあまりないと言われているけれど、うん、たしかに、対談集はむずかしいんだな、というのを感じた。
それでもさすがな二人なので、たくさん胸に響く言葉があった。
たとえば、人間の美しさについて語っている箇所。
塩野七生は言う。
人間は「二十五歳以上は、もう肉体の力じゃない」と。
二十五歳以下の肉体は男でも女でもとっても美しいと。
だから、それ以上の年齢になれば、プラスアルファが必要で、美しく生きるということを考えたとき、心というのもあるのではないか。
そしてこれはソクラテス以来の問題なのだと。
そしてこんなふうに言う。
「なにせ死ぬことはわかっている。つまり、哲学というのは、死ぬまでをいかに美しく生きるか……」
うん、たしかに、そうなんだよなあ。
でも、だったら、私も哲学のまわりをうろうろしているかもしれないな。
塩野七生はまた、こんな興味深いことも言っていた。
彼女は若いころは「すべてか無か」というチェーザレ・ボルジア風に生きてきたけれど、これからは晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの言ったことをモットーにするのだと。
それは「スペンデレベーネ」。これを日本語に訳すと「充実した」となるけれど、イタリア語だと「お金をうまく使った」という意味になるのだと。
ダ・ヴィンチは「スペンデレベーネした一日のあとに、こころよい眠りがくるのに似て、スペンデレベーネした一生のあとには、静かな死がくる」と言っていて、だから「もう、私はこれでいくの(笑)」だって。
このとき塩野七生は六十三歳ころ。私はその年まで生きているかな。生きていたら何をしているかな。
そしてどんなふうに考えているかな。
スペンデレベーネについてどんな考えをもっているかな。
現在はもっとも自分と遠いところにある言葉のように思うから、だからなのかな、頭に焼きついてしまった。
春に出す予定の原稿、第1稿が、さきほど完成。編集者さんに送った。彼はどんな反応をするだろう。最高に緊張するとき。